束子ダイナミック

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大人と子供の間にある「13歳」の物語。ジュブナイル謎解きADV『アナザーコード 2つの記憶』の記憶

 ジュブナイルと呼ばれるような少年少女を主人公とした作品では、しばしば主人公の年齢が大きな意味を持つ。『スタンド・バイ・ミー』なら12歳だし、『エヴァンゲリオン』や『魔法少女まどか☆マギカ』なら14歳。そうでなければ成立しない、と言っても過言ではないかもしれない。

 アナザーコード 2つの記憶』の主人公アシュレイは13歳である。13歳でなくてはならなかったのだ、と今になって思っている。

失われた記憶と謎めいた島

 『アナザーコード 2つの記憶』は2005年にニンテンドーDS用ソフトとして発売された。あまり話題に上らない気がするが、DS初期の名作アドベンチャーである。Wiiで続編『アナザーコード:R 記憶の扉』も発売されているが、その後開発元のシングが倒産しているため既に途絶えてしまったシリーズだ。同社製の『ウィッシュルーム 天使の記憶』もかなり面白かったので、つくづく惜しい。

 ストーリーから簡単に紹介していこう。14歳の誕生日を目前に控えた主人公のアシュレイは、11年前に母親と共に死んだと聞かされていた父親から、小包と「ブラッド・エドワード島で君を待っている」というメッセージを受け取る。

 父親に会うため島に向かったアシュレイを待っていたのは、この島に住んでいたという血塗られた一族の残した屋敷と、暗躍する何者かの影。かつてこの島で何があったのか? 姿を見せない父親は、なぜ彼女をこの島へ招いたのか? そして11年前、両親とアシュレイの身に何が起きたのか? すべての謎を解き明かすため、彼女は荒れ果てたエドワード家の屋敷へと足を踏み入れる。

 この屋敷がまたいかにもおどろおどろしく、扉を開ける度に身構えてしまう……のだが、実のところここには主人公に直接的に危害を加えるような化け物の類や、悪意に満ちた仕掛けとかはない。本作のジャンルはホラーアクションなどではなく、謎解きパズルアドベンチャーである

 パズルの内容は定番の暗号解読などもあるが、特筆すべきはDSの機能を活かしたユニークな……解けたときに「やられた!」と思わされる仕掛けの数々だ。全体的な難易度はそう高くないが、時には結構なとんちが求められたりもする。例えばこの「写真立て」の謎解き。画面をタッチしても特に何も起こらない。

これ……解けますか?

 そういうジャンル面から見ても、この島は決して完全な非日常ではなく、アシュレイの暮らしてきた日常、そして過去からの延長線上にあるものに感じられる。だからこそ、屋敷に残された惨劇の痕跡は、かえって生々しく恐ろしいものとして映るだろう。

13歳に幽霊は見えるか

 とはいえ非日常的な要素が全く無いわけでもない。本作のストーリーのもう一つの軸は、過去のエドワード家の惨劇に関連しているらしい記憶喪失の幽霊・ディーにまつわる物語だ。アシュレイ自身の記憶と、このディーの記憶で「2つの記憶」というわけである。

 純粋な心を持つ子供には、幽霊や小人や妖精など大人には見えないものが見えるのだ、とする伝統的な考えがある。その視点から見て、13歳に幽霊は見えるだろうか? ……うん、微妙なところだと思う。『となりのトトロ』のサツキが12歳らしいので、この辺がちょうどボーダーなのだろう。

 結論から言うとアシュレイにはこの幽霊が見える。だが、ただの純粋な子供ではない彼女は、それを無邪気に受け入れることはできない。ディーの姿を恐れ、不気味にも思う。一方で、だからこそ彼の身に起きたことを理解し、解き明かし、その魂を救うこともできるのだ。大人でありながら子供でもある13歳だからこそ果たせる役割である。

 あと余談だが人間と幽霊のコンビっていいよね。違う時間を生きるちぐはぐな二人が、協力して謎を解きながら理解を深めていく。そういう甘酸っぱさがたまらない。

誰のためのゲームだったのか?

 ところで本作の発売は2005年の2月だが、DSの発売が前年の12月なので、かなり最初期に発売された一本だ。当然、このとき本体のバリエーションはプラチナシルバーの初代本体(厚ぼったくて、非日常的デザインで、かっこいいやつ!)のみである。上に貼った写真のやつだ。

 本作の作中にはこの初代本体と同じデザインのガジェットが、「DAS」という名前で登場する。DSの独自機能をふんだんに使った謎解きとあわせて、DSという新しいハードを存分にフィーチャーした、いかにもハード初期らしい要素だ。

 ここから一年も経った頃には『脳トレ』の大ヒットとDS Liteの発売によって、大人が遊んでいるのもよく見かけるようになったDSだが、当初はあくまでゲームボーイアドバンスの後継機として認識されていたと記憶している。だからこの銀色の本体を最初に手にしたのは、主に小〜中学生の子供だったのではないだろうか。ちょうどアシュレイと同じ年頃である。

 本作は、まさにそんな子供に向けられた作品であったように思う。子供としてずっと守られてきた主人公が、自分の意志で残酷な真実を明らかにして、それを受け止めるという話なのだから。

 今となって大人の目線で見ると、悲劇的な殺人事件を背景としたストーリーは、子供に向けたゲームとしてはやや陰惨すぎるようにも感じる。だが、このくらいの年頃というのはもう背伸びがしたくてしたくてしょうがない生き物だ。2022年の今だって子供たちは『鬼滅の刃』に心をときめかせているという。その気持ちはとてもよく分かる。

 子供に与えられるのは、決まって平和で安全できれいな世界。だが、いつかはそうでないものを知りたいと思うときが来る。そのときに触れるのが、完全に無秩序で混沌とした大人向けの残酷さではなく、本作のように、残酷さの中にも信頼と優しさと希望を含んだものであってほしい、と思うのは贅沢ではないはずだ。あの頃このゲームに出会えた自分は幸運だったと思う。

大切なことは、思い返せば忘れない

 さて、周年とかでもないのにどうしてこのゲームのことを書き始めたんだったか……確かジュブナイルの話をしていて思い出したんだと思う。

 改めて序盤をちょっとプレイしてみたが、オープニングで「大人になったら、大切なことも忘れてしまうのか」というアシュレイの問いに、連絡船の船長が「忘れたくないことは、いつも心に思い返していれば忘れない」のだと返すくだりがあった。記憶のどこかに引っかかっていて、何かにつけて思い出す、自分にとっては本作がそんなゲームである。モノローグから始まり徹底して13歳の目線が貫かれており、その感性の瑞々しさや幼さも、改めてなんだか新鮮だった。

 陰惨でありながらも爽やか。一見矛盾する二つの印象を融合させた立役者は、子供のように拗ねて、恐れて、それでも真実を明らかにする勇気を持とうとする、等身大の13歳たる主人公アシュレイだろう。

 彼女が見せてくれた知恵と勇気は、今でも記憶の中で、凛とした視線を向けている。恐れるな、ではない。いつだって恐れながら、次の扉を開けるのだ。

 

(2023/12/3 追記)

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