束子ダイナミック

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戦術音楽ユニット「Walküre(ワルキューレ)」は七年目にして天上へ。"LIVE"の先にあるものは?

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 半年前、ワルキューレマクロスΔの五年間についてまとめた記事を書いた。ここからたった半年。だがこの半年で、ワルキューレは怒涛の急展開を見せた。

towersea255.hatenablog.com

 今回はこの記事の続きとして、『劇場版マクロスΔ 絶対LIVE!!!!!!』の結末を踏まえ、この間に発表された楽曲について、またそれらの楽曲が披露された「ワルキューレライブ2022 Walküre Reborn!」の感想を交えつつ、ワルキューレのこれからについても考察してみたいと思う。

 当然ながら、話はいきなり劇場版のネタバレから始まる。ぜひ劇場版を視聴してから……というのも今だと難しいところなのだが、以下は視聴後に読むことを推奨する。

劇場新作『絶対LIVE!!!!!!』は完結編だった

 「まさか完結編ということはないだろう」と思っていた劇場版だが、そのまさかであった。続きが語られたとしておまけ以上のものにはなり得ないだろうと断言できるほど、しっかりと幕を引いた内容だったのだ。

 ミュージカル風の鮮烈な「唇の凍傷」から始まり、歌たっぷり、バトルばっちり、フレイア&ミラージュの両ヒロインについては完結に足るだけの掘り下げあり、と充実の内容。Δの特色である青天井のテンションも過去最高級で、ちゃんと面白かった。

 ダークサイドのワルキューレである「Yami_Q_ray(ヤミキューレ)」も登場(なお、キャストは共通)。その本家とは一味違った楽曲群は、劇場前編『激情のワルキューレ』からの「ワルキューレ推し」路線をしっかり引き継いだ素敵なファンサービスだった。

 ……なのだが。問題は、作中幾度となく強調されてきたウィンダミア人の寿命問題に対して、あまりにも尖った回答がなされていることだ。確かに「この声が果てるまで歌う」とは言ったけども、その覚悟は想像以上のものだった。

 五年ぶりに再会したと思ったらあっという間に駆け抜けていってしまうような展開には、正直なところ戸惑いもあった。まだまだ人気のある中でしっかりと完結させたのは立派だと思う一方で、気になるのはやはり、リアルユニットの方のワルキューレの今後である。

アルバムタイトル"Reborn"の意味

 劇場版公開直後に発売された挿入歌アルバム、そのタイトルは「Walküre Reborn!」。シングルで発表済みの曲のリミックス版が2曲に、新曲が5曲(!)、さらにそれぞれのソロ曲が収録されている。

 個人的なお気に入りは「つらみ現在進行形」。コテコテの懐かしさとクールな新しさの融合、テンションの振り切れたサウンド、焼き切れそうに熱い歌詞というワルキューレの音楽性の一つの完成形であると思う。

 アルバムのリード曲は、こちらも熱々のキラーチューン「ワルキューレはあきらめない」で、アルバムタイトルと同名の曲は存在しない。では"Reborn"にはなんの意味があるのだろうか。

 以前のアルバムタイトルの"Attack"は曲名だとして、"Trap"にも特に深い意味はなさそうなので考えすぎかもしれないが……希望的観測をするならば、これは「マクロスΔはああいう形で完結したけれど、ワルキューレ生まれ変わって(Reborn)これからも活動を続けます」という宣言であるのかもしれない。

 かといって、作品と楽曲の切っても切り離せない関係性こそがワルキューレの魅力でもあった。この先、ワルキューレはどこに行くのだろう……。

「Walküre Reborn!」はマクロスΔに捧げるライブ?

 それからおよそ半年後の2022年4月9日~10日に開催されたのが「ワルキューレライブ2022 Walküre Reborn!」である。

 ここでワルキューレの今後について何らかの回答を示してくれるのではないか? と思っていたのだが、最初に言ってしまうと、このライブは「劇場版の再現」というコンセプトになっていた。

 ここからのライブの話は、自分が参加したDAY1公演の内容をもとに進める。とはいえ差分は一曲だけだったとのことなので、概ね共通していると思う。

 会場に入ってまず目を惹いたのは、センターステージ上方を取り囲み、周囲の中空にぐるりと張り巡らされたモニター群。さらにライブが始まると、ステージ中央を覆うように半透明のスクリーンが出現した。と、言葉で説明するより、公式ライブレポートの写真を見てもらったほうが早いだろう。

macross.jp

 これらには劇場版の特定のシーンをイメージした映像や、時には本編そのものがかなり踏み込んだ場面まで投影された。「この場の19000人全員、劇場版は当然観ていますよね?」と言わんばかりである。*1

 今までのワルキューレのライブは、「アンコールまではキャラでMCをする」というお約束はあれど、比較的中の人が前面に出ているものだったと思う。見る方としても正直、中の人の本気の歌唱を見せてほしい、という気持ちが大きかった。

 しかし今回はちょっと違うように感じた。実力があるのはもう前提として、明確に作中のワルキューレの分身を演じる、という作品重視のコンセプトが見て取れた。ちょうど、今までのライブにおける「AXIA」のような演出がほぼ全編に渡って施されていたと言えば分かりやすいだろうか。

 作品重視の方針を明確に示す例として、今回、曲間にアニメ本編から抜粋された(事前に収録された?)セリフが流れる演出があり、歌唱と声の担当が違う美雲については"声"美雲によるセリフとなっていた。

 2017年と2018年のライブでは最初の曲として披露された「ようこそ! ワルキューレ・ワールドへ」のセリフ部分が、ライブで歌うことを意識してか音源から"歌"美雲だったこととは対照的である。

 今回は今この場で発せられるライブ感よりも、作品に忠実であることを優先したということだ。

 それは単純に、劇場版挿入歌のアルバムを引っ提げたライブだったからという理由での演出プランなのかもしれない。だけどあるいは、これが完結を迎えたマクロスΔという作品に捧げることができる最後のライブだから、なのかもしれなかった。

フレイア・ヴィオンと「愛してる」

 今回のライブのステージ構成は、センターステージとそこから放射状に延びる五本の花道が特徴となっていた。会場の幕張メッセ展示ホールは本来コンサート用ではなく、展示会などで使用されるような平たく見晴らしの悪い会場だ。その中で、できる限り隅々まで姿が見えるように配慮されたものかと思う。

 一部の楽曲では外周をトロッコが回ったらしく、最後列が最前列になるという逆転現象まで起きていたようだ(このように、その場に居たのに伝聞になるくらい見晴らしが悪い会場なのである……)

 中でも目玉はそれぞれの花道の先端に設置された、一人乗りのリフトを使った演出だろう。ライブ界隈ではタケノコとか呼ばれているらしく、正式名称をテレスコリフターというそうだ。個人的にとあるミュージカル作品のクライマックスシーンを連想したので、それになぞらえてここでは勝手に天上リフトと呼ばせていただきたい。

 リフトを使った演出で象徴的だったのは、フレイアのソロ曲「愛してる」。映画本編では使われていないものの、その内容を踏まえたとき、普遍的なラブソングから恐ろしく切ないバラードに変貌する一曲だ。

 この曲のとき、自分の席からはリフトに乗ったフレイアΔ鈴木みのりの後ろ姿が見えていた。リフト上ではあまり身動きが取れないようで、ほとんど振り返ってはくれない。正面上方から照らされたスポットライトがいわゆるエンジェルラダーのようにも見えた。リフトはどんどん上昇していき……最終的には地上10mにまで達したという。

 これが劇場版の「行ってしまうフレイア」と重ねた演出であることは間違いないだろう。

 その後の「宇宙のかけら」で、2番から入ってくるフレイアと他の四人との間に見えない境界を引いた立ち位置にもそれは表れていた。元からそういう(フレイアが他の四人に語りかけるような)パート分けになっているのだが、ライブというある種の舞台の上で、その境界がダイレクトに視覚化されたようで印象的だった。

 そしてこのリフトを使用した曲は、公演一日目には少なくとももう一曲あった。

ワルキューレと「サヨナラノツバサ

 ところで、このライブの直前に、マクロスFとのコラボアルバム「デカルチャー!! ミクスチャー!!!!!」が発売されていた。お互いの楽曲を交換してカバーするという嬉しい内容になっている。

 その良さについては他で語ったので一旦置いておくとして、リフトを使用したもう一曲というのが、アンコールで披露された「サヨナラノツバサ~the end of triangle」だったのだ。

 今更何をと思うかもしれないが一応説明しておくと、そもそもワルキューレとは北欧神話の女神で、戦場で死んだ戦士の魂を、天上の宮殿ヴァルハラへ連れて行ってくれるとされる存在だ。マクロスシリーズの顔である可変戦闘機バルキリーも読み方が違うだけで同じ言葉である。

 マクロスΔでのワルキューレの結成より以前、F劇場版のクライマックスにて歌われ、その神話を強く意識した曲がこの「サヨナラノツバサ」であったのだ。そういう繋がりもあってか、カバー楽曲を決める投票企画で見事一位を獲得して収録が決まったこの曲。だが……。

 そう、確かにこれは(北欧神話の)ワルキューレの曲なのだが、(戦術音楽ユニットの)ワルキューレのための曲ではない。神々しすぎて、Δ本編からはだいぶ浮いた印象すら受ける。劇場版の内容を考えれば、なおさらよく分からない……ライブで披露されたこの曲を聴くまではそうだった。

 ペンライトの光の海、その遥か天上に並び立って歌う五人の歌姫。その光景を眺めているうちに、一つこんな解釈もできるのではと思ったのだ。

 つまり、これは遠い未来、虹の橋の向こうに再び集結したワルキューレが、五人で揃って歌う歌なのだと。あるいは、そう信じる人の心の中にある歌なのだと。

 その歌声は生死も時間も空間をも超越して永遠に響く。その時こそ、ワルキューレはその名の通りの伝説の女神……「超時空ヴィーナス」となれているのかもしれない。劇場版の結末に割り切れないものを感じていても、そんな未来があるとしたら、少し救われる気がしないだろうか?

ワルキューレのこれからは

 話を現在/現実のワルキューレの方に戻そう。前回の記事にも書いた通り、ワルキューレは歌と物語のシンクロを大きな魅力としてきたユニットだ。物語の方がああいう形で完結した以上、リアルユニットとしても今までのように作品と合わせた新曲展開はできないだろう。かといって新シリーズが発表されるでもなく、宙ぶらりんな状態だ。

 つい先日4月27日にはスマホゲーム『歌マクロス』のサービス終了告知があった。2017年にサービスを開始し、ワルキューレを看板に据えつつ、シリーズを横断する歌姫たちのフル3Dライブシーンが売りのゲームだったが、こちらも一区切りとなってしまうことに。

 リアルライブの方が2017年のそれとは違い、「またね」的な明るい雰囲気で終わったので何かしら次は決まっていそうで、そこは安心できるのだが。

 ワルキューレは生と死……"LIVE"をも超えた存在として、これからも最前線で歌を届けていくのだろうか。それとも、メインステージを後輩に譲り、時空の揺らぎから時々顔を出しては、私たちを楽しませてくれるのだろうか。

 どちらにしても、これからもワルキューレから目が離せない。同じ時代を生きる者として、現在進行形の伝説が本当の伝説になるのを見届けるまでは……。

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*1:一応、MCで「もし見てない人はこれから見てね」とフォローはされていた