束子ダイナミック

変なゲームと優しい物語が好きなブログ

『ポケモン』が仕掛けたノスタルジーの時限爆弾

f:id:TowerSea255:20210611000442j:plain

 ポケモンはゲーム発のキャラクターコンテンツとしては規格外に大人気だ。日本だけでなく世界中で大人気だし、25年前に世に出てからというものずーっと大人気だ。もう意味が分からないほどだ。

 私もポケモンが大好きだ。ゲーム自体は最近そんなに熱心に遊んでないけど、それでもポケモンは特別な存在である。それは何というか至極当たり前の話なのだが、この感覚はもしかすると世代に依存するものなのかもしれない。

 ここ数年で、ポケモンの出してくるコンテンツの毛色が変わってきているように見える。懐かしく素朴、もしくはシリアスな雰囲気を押し出した、大人向けの作品が増えている。分かりやすいのがアニメ劇場版で、2017年からリメイク作品が続き、最新作は初期の作風を思わせるテーマ性の強いものとなっているようだ。

f:id:TowerSea255:20210610233335p:plain

https://www.pokemon-movie.jp/history/

 一見よくある、大人になった直撃世代をターゲットにしたリバイバルの流れに見える。だが、これは一過性のリバイバルにはとどまらないのではないかと思う。

 『ポケモン』のお話はゲームもアニメも大体共通して、主人公の少年少女が旅を通してポケモントレーナーとして成長していくという筋書きだ。10歳そこそこの子供が親元を離れて一人と一匹で旅立ち、様々なポケモンやトレーナーと出会い、最強のチャンピオンを制してポケモンマスターにまでなれる。同年代の子供にとって、そういう「少し背伸びした自分だけの冒険」がどれだけ魅力的な体験だったか!わかるでしょう?

 『ポケットモンスター 赤/緑』の発売が1996年。当時の小学生は今30代くらいだろうか。このあたりより下の世代には、リアルに子供の頃の大冒険としてポケモンを遊んだ経験をもつ人間は多い。自分もそういうポケモンキッズのひとりである。

 ところで、この百種類以上ものポケモンを捕まえて育てて戦わせるというゲームコンセプトは、子供の頃の昆虫採集の楽しみから着想されたという。初代ポケモンの主人公の家のテレビには『スタンド・バイ・ミー』らしき映画が流れているというのは有名な話だ。主に子供をターゲットにしたゲームでありつつ、最初から「子供時代のノスタルジー」の要素が込められていたということだ。

 それを本当の子供時代に浴びるとどうなるか。仮初めのノスタルジーは時を経て現実のノスタルジーとなる。いい大人になった元ポケモンキッズには、もしかして10歳くらいの子供がいるのかもしれない。そうして『スタンド・バイ・ミー』の主人公のように、ポケモンと旅したあの日をリアルな子供時代の思い出として懐かしく回顧することができる。

 たとえ現在ゲーマーでなかったとしても、そういう思い出を持つ潜在的ポケモン好きはかなり存在していると思われる。それを証明するのが、ポケモンファンによるポケモンファンのためのラブレターである映画『名探偵ピカチュウ』の全世界でのヒットだろう。主人公が「かつてポケモンマスターを夢見て、今はそうでもない青年」とされているのにもそういった層への目配せが感じられる。*1

 あるいは、歴代作品のネタが詰め込まれたこの動画が好評を博したのも記憶に新しい。

youtu.be

 ポケモンはただでさえ良いゲームだし、今でも十分すぎるほど大人気だが、本当の強さは子供時代の思い出と分かち難く結びついてしまうことにある。そうなった人間にとっては、単なる「昔遊んだ面白かったゲーム」や「好きなゲームシリーズ」に終わらず、もう少し深いところに突き刺さったノスタルジーの時限爆弾となっている。

 そして重要なのが、ポケモンは現在までほぼ切れ目なくリリースされ続けているため、その爆弾を仕掛けられた世代は増え続けているということだ。他のリバイバルと決定的に異なるのがここで、「ポケモン世代」は初代世代を皮切りに延々と続いて途切れることがない。だからこのノスタルジーが持つエネルギーは、むしろ時間が経つほど増大していくことが予想される。

 これからもポケモンが続いていく限り、ポケモンは世界中で少なくない人々の人生の一部になっていく。一体どこまで大きくなるのだろう?

*1:原作のゲームは確かそうではない