束子ダイナミック

変なゲームと優しい物語が好きなブログ

『一ノ瀬家の大罪』と家族システムの揺らぎ【ネタバレあり】

 タイザン5『一ノ瀬家の大罪』最終6巻まで読みました。なんだか不思議な読後感の話でしたね。

▽あらすじ
自動車事故により「一家全員記憶喪失」の状態で目覚めた一ノ瀬家の6人。一致団結して記憶を取り戻そうと決意を固めて退院したものの、自宅の様子がどうもおかしい……。そこから、記憶を失う前の家族が多くの問題を抱えていたことが明らかになっていき――。

 

 これは「問題のある家族」と「健全な家族」の境目ってどこにあるんでしょうね? という話なのではないかと思った。いわゆる「毒親」や「機能不全家庭」という強い物語によって押し流されようとするものを、ちょっと待てよと拾い上げようとしている、というか。

「家族システム」という考え方があります。家族とは、構成員が相互に影響を与えあう一つのシステムであり、原因と結果は一方向に定められるものではない――つまりまあ、家族内の問題というのは特定の個人を悪者にして解決するような簡単な話じゃないよということですね。

 

 以下、ネタバレです。

 

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【推しの子】最終回に寄せて――アクアはXXするべきだった?【ネタバレあり】

【推しの子】がついに完結しましたね。ということで、ネタバレ込みで色々思うところを書いてみようと思います。

本作については連載の割と初期から「推し」てまして、去年アニメ一期が終わったタイミングでこんな記事を書きました。

towersea255.hatenablog.com

本作は隆盛極まる「推し」文化の陰で今も絶えず起きている、推す者と推される者のすれ違いと、それが招く悲劇(そしてこれからも招かれるであろう悲劇)について語ろうとする話なのではないだろうか。それを可視化し、暴き、突き付ける試みがなされているのではないだろうか?

完結インタビュー(ネタバレ無し)の内容などを見るに、この解釈は部分的には合っていたと思う。

『【推しの子】』の意義というか、この作品を通して何を表現したいのかは最初から決まっていました。それは「ディスコミュニケーション」。つまり、「人と関わるとは、どういうことなのか」ってことですね。

でも全体としては結構読み違えていたかもしれない。というか、作者が自分と同じくらい性格が悪いものだと思い込みすぎていたかもしれない。

最終話を読んだ印象としては、ディスコミュニケーションについての問題提起という側面もありつつも、やっぱり「アイドルもの」として着地したのかな、と思いました。

 

※以下、結末に触れるので、まだの方は先にこの辺から最終話までどうぞ。

[第百五十九話]【推しの子】 - 赤坂アカ×横槍メンゴ | 少年ジャンプ+

 

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「生活」はじめました

個人的なトピックや、創作物と関係のない細々した記事を書くためのサブブログを作りました。
最近ブログを全然更新できてない理由も分かる!

towersea255.hatenadiary.com

今後はもうちょっとゲームしたりする時間もできると思うので、そうしたら「ダイナミック」もぼちぼち更新していきたい。よろしくです。

あの日に帰りた(くな)い、魅惑の《青春ゲーム》特集

 《青春》だなんて死ぬほど陳腐なワードだとは思う。でも、そう思いつつも結局人はいつまでも青春的なものをフィクションの中に求めてしまいがちなんですよね。楽しかったあの日を追体験したいとか、実際は暗黒だった青春を取り戻したい、みたいな単純な欲求を満たすだけにとどまらない魔力が青春というモチーフにはある。一人の人間を底まで浚ってみせるような攻めた表現ができるのは、青春ものならではと言えるでしょう。

 すぐれた青春ものは各媒体にもちろん無数にあるのだけど、「当事者性」というのも青春の一つのキーワードだったりするので、ここはひとつ見てるだけじゃなくてゲームで青春を体験してみようじゃありませんか。そんなゲームを集めてみました。

高機動幻想ガンパレード・マーチ

youtu.be

※アニメ版のPVだけど、より雰囲気が伝わりそうなので。

 第二次世界大戦の真っ只中、異次元から現れた「幻獣」により人類は滅亡寸前に……そんな架空の歴史を辿った1999年の日本で、人型兵器による戦闘と学生生活に明け暮れる三ヶ月間を過ごす、学徒兵シミュレーションゲーム

 剥いても剥いても出てくる膨大な独自設定や、AIで自律的に行動するキャラクターの個性あふれすぎな振る舞いも魅力だが、何より戦争ものとして地に足のついた日常の質感が素晴らしい。戦時という非日常に見える状況も張本人たちにとっては紛れもなく日常であり、現実であり、デートもするしどうでもいい喧嘩もするし腹は減るし買い物もするし……と、こんな状況なのに呑気な学生生活を送ることができる。

 しかしながら軍規とか陳情とかいう耳慣れない単語は常にちらついており、ひとたび戦闘が始まれば何を置いても出撃させられるし、あっと思うと同級生が死んでて、二度とプレハブの教室には戻ってこない。来るか分からない明日を知ってか知らずか、平熱の今日を全力で駆け抜ける小隊の皆との日々は、どうも何年経っても忘れられない。

 PSのゲームで移植しか出ておらず、グラフィックが古いのだけが難点なので、リメイクをずっと待っている。

www.alfasystem.net

十三機兵防衛圏

youtu.be

 アドベンチャーパート「追想編」と戦略シミュレーションパート「崩壊編」を行き来しながら、青春群像劇に隠された壮大な謎を紐解いていくSFゲーム。

 さまざまな時代が舞台となるが、序盤のメインは1985年の日本で、ちょっと古めの時代設定が『ねらわれた学園』とか『時をかける少女』とかの往年のジュブナイルSFを思わせる。それだけでなく、怪獣に宇宙人、人型ロボット、タイムスリップ、記憶喪失、選ばれた子供たち、など進めば進むほどあの頃のSFワードが全部入りで、世代によっては二重の意味で青春を感じることができるだろう。世界の秘密に壮大な陰謀、それらが全部本当だったら……? という世界観が手加減ゼロでどんどん開示されていく、中二の夢の世界がここにある。

 そういう不思議なものを本気で信じた一瞬には、自分も確かにこの世界の一員であったのかもしれないと思わせてくれるようなゲームです。

13sar.jp

ダンガンロンパ

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 デスゲームを仕組まれた学園を舞台に、アクション仕立ての推理ゲーム“学級裁判”で真実を明らかにする推理アドベンチャー。過激な設定や、CERO Dギリギリの残酷な「おしおき」ムービーで話題になった作品ではあるが、殺し殺される過酷な状況下だからこその、クラスメイト同士の心の交流――ひりついた対立や、複雑な感情や、温かい友情――が丁寧に描かれている側面もあり、紛れもなく青春ゲームと言えるでしょう。

 2以降もシリーズは続いているが、青春という意味でチョイスするなら断然初代。というのも今作には「卒業」が描かれているんですね。学校という守られた空間から一歩出れば、何があるかは分からない。でも、だからそこには「“希望”がある」と言い切ることができる。

www.danganronpa.com

ファイナルファンタジーXV

youtu.be

 現代的な街並みや技術と、魔法や召喚獣といったファンタジーな側面を併せ持つ広大な世界で、クリスタルを巡る壮大な冒険と、男四人の仲良しキャンプ旅が描かれるアクションRPG。キャンプ旅の比率が割と高いのが特徴で、発売から八年が経とうかという今でも唯一無二のキャンプRPGである(キャンプRPGって何?)。

 今作の主人公ノクティスは20歳。そう、青春はティーンエイジャーだけのものじゃない。20歳はモラトリアム最後の砦だ。結婚を控えたノクトと友人たちの卒業旅行のような愉快な旅路は、やがて運命に吹き飛ばされて二転三転し、彼らを大人にしていく――いや、「してしまう」のである。振り返ってみれば、戻らない時間だけが輝いている。ああ青春。

 そして自分が歳を重ねるほどに「やっぱ辛えわ」の重みが身に染みてくる。本当になんなのこのゲーム。

www.jp.square-enix.com

おかしいな

きわめて真面目に選んだつもりなんだけど……
もしかしてこれって……
「青春(が滅茶苦茶になった)ゲーム特集」?

 しかし思春期の感情というのは元より滅茶苦茶なものなので、その滅茶苦茶さを外側に広げ、作品全体で表現しようとすると、こういう殺伐とした世界として表れてくるのかもわからないですね。さらに言うと、青春というのは有限で儚いものなので、いつ失われるともしれない時間というのは実に青春に似ている。

 青春がキラキラしてるなんて嘘嘘。嘘です。ここに紹介したゲームを遊ぶことで、あの頃の苦しさに思いを馳せてみるのも一興かと。

 ここに挙げた以外にエモい青春ゲームをご存知の方は是非コメントで。私が喜びます。

 

▽関連記事

最近の青春アニメならこれ。

towersea255.hatenablog.com

 

神ゲーもなにとぞ。

towersea255.hatenablog.com

 

舞台『SaGa THE STAGE 再生の絆』感想と、ゲームキャラクターが「演じられる」ことの意義について

 サガシリーズの舞台化企画「SaGa THE STAGE(以下、サガステ)」の第三弾、『SaGa THE STAGE 再生の絆』の東京公演を観てきた。

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 2018年に上演された前作、『ロマンシング サガ2』原作の『SaGa THE STAGE 七英雄の帰還』にはおっかなびっくり足を運んで、その熱量と殺陣のすばらしさと構成の出来の良さに衝撃を受け、大興奮でTwitterで呟きまくったりしていたのだが

※後日、無事にDL販売や限定無料配信などがされた

 今回観るかは正直かなり迷っていた。

 というのも今回の『再生の絆』の原作は、スマホでサービス中の『ロマンシング サガ リ・ユニバース(以下、ロマサガRS)』のオリジナルストーリー第一部・ポルカ編である。サービス開始から二年くらいはちょくちょく遊んでいたものの、最近は全く触れておらず、しかもこのストーリーというのが若干くせ者で、群像劇的に色々起きながら話があっちこっち飛ぶので、どうも読みにくくてね……大筋のストーリーは悪くないと思うんだけど、どうもね……。自分にとってのロマサガRSは、もっぱらイベントマップをオートでぶん回して数字が増えるのを眺める盆栽であった。そんな自分にこの舞台を観る資格があるんだろうか。

 さらにロマサガRSはサガシリーズのオールスター作品でもあり、つまりこの舞台も理論上どのシリーズのキャラであっても出演することができる。そんなん絶対とっ散らかるでしょ……一体どうなってしまうんです……?

 結論から先に言うと行って良かったです。ポルカ編ってこういう話だったんだ、ロマサガRSってこういうことがしたかったのか、と今回でやっと理解できた感じで、むしろストーリーにピンと来なかった人ほど観るべきものかもしれない。あとロマサガRSであると同時に『七英雄の帰還』のifルート続編的な趣もあったのは前作ファンとしては嬉しかった。

 また、ゲームの世界が生の舞台で表現されること――特にキャラクターが「演じられる」ことの意義という意味で、改めて衝撃と感じ入るものがあったので、後半ではそれらの話をしてみたい。

 ちなみに実写化という観点で話をするにあたって最初に言っておくと、サガシリーズの中できちんとキャラクターボイスが付いているのは、本稿執筆時点では『ロマンシングサガ ミンストレルソング』と『サガ スカーレットグレイス 緋色の野望』のみ*1で、ロマサガRSにも一部システムキャラを除いてボイスが無い。ご存じない方は「令和に個別ボイスの無いキャラガチャゲーなんて存在するのか……?」と思われるかもしれないが、無い。最初の頃はそのうち追加されるかと思っていたが、これで五年やってきているのでたぶん未来永劫、無い。

 ということで実写化はおろか、舞台化で五年越しや二十年越しに初めて声を聞いた、みたいなキャラがごろごろしているのがサガステだ。そんなわけで、他の実写化ものとは感覚が大きく違う可能性があるのはご承知おき願います。

悪役たちの名演怪演、そして……

 とりあえずオープニングアクトだけ見てほしい。

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 まぁあの、とっ散らかってはいたと思うんですよ。三時間の話として見ると、登場キャラクターは明らかに多すぎる……と思う。前半はかなりのダイジェストだし、それでも説明しきれていない部分も多い。リン・ウッド家にまつわる本筋だけでも語るべきことが多すぎるのに、他の話まで入ってくる。

 けど、そんなことはどうでもよくなるくらいに各キャラクターが放つ存在感は格別だった。というかこれだけのキャラクターを揃えて活躍させるためにこういう脚本になっていると思うので、そういう意味ではこれで正解なんだろう。殺陣は今回もさすがのクオリティで、それでキャラが多いものだから目が追いつかないくらいだったのであと三回くらいは観たい。

※以下、途中までややネタバレがあります。

画像は特に関係のないワラスボです

 今回の舞台、特に悪役が輝いていたと思う。女道化師を男性キャストが迫力たっぷりに演じたイゴマールには圧倒されたし、指先まで洗練された立ち振る舞いの中に優しさが滲み出るバルテルミーは素晴らしかった。リアルクイーンたちも終始ノリノリで、恐ろしさと同じくらいの愛嬌があった。一応今回は味方側に属する七英雄やジョー、バートにも悪役的な側面があり、その二面性が魅力になっている。

 そしてその悪役たちと時に向き合い、時に立ち向かうポルカの主人公っぷりといったら実に堂々たるものだった。これだけキャラクターが入り乱れる中できちんとずっと中心にいて、奮い立ったり喜んだり悲しんだりしているさまはもう紛れもなく主人公。オールスターゲームの主人公にありがちな影の薄さにこんな形で血が通うことがあるんだ。逆に言うと 、既に確立されたキャラクターの中にポンと放り込まれた新しいキャラクターが適切な求心力を発揮するには、これくらいの才能が介入していかないと難しいということでもあるのかもしれない。

 そして最後の最後に流れるロマサガRSのタイトル曲「再生の絆〜Re;univerSe〜」。この曲に関しては以前オーケストラコンサートの記事で、

towersea255.hatenablog.com

弱肉強食のスマホゲーム界で好調のまま2.5周年を迎えた本作の語りをああやって締めるのはずるい。そういう意味でこの曲が流れることはある種の祈りでもあり、優しいメロディが沁みる。何度も何度も聴く機会のある曲で、聴くたびに好きになる気がします。

とか言及したのだが、このたび本公演のテーマ曲としての記憶が付加されたことで、またしても泣ける度が一段アップグレードされてしまった。ゲーム音楽と「思い出補正」とは切っても切れない関係にあるが、それにも新しい時代の新しい形があるんだなと思わされる。

 というか、この曲のタイトルが2018年のリリース当初から「再生の絆」だったことを今思い出したよ! 今回は全部この曲に尽きるってこと!?

 「再生」は『ロマンシング サガ3』における「世界の再生」周りの設定を踏まえたものだとは思うけど、「絆」の方はポルカ編のテーマとして最初から据えられてたものだったのだろうか。今では第二部、第三部と別の主人公が活躍しているらしいロマサガRSだが、そのタイトル曲が初代主人公と深い繋がりがあったことがここで分かるのは……熱い!

 何年も運営を続ける中で、開発とユーザーとマルチメディア展開に関わる人々によって、ゲームの内外で積み重ねられた物語がそのキャラクターをヒーローにしていく。やっぱり運営型ゲームならではの伝説の作り方というのがあって、ポルカたちはそれを五年の時を経てやりきったんだなと思わされた。

※ネタバレここまで。

ゲームにとっての「演じる人」の存在

 さて、ここから後半。今回のサガステのように、生身の人の演技が入ることによって作品やキャラクターの見え方がガラッと変わるのがとても面白いなぁと最近思っていて。

 物語やキャラクターにとって、「演じる人」の存在は必須ではない。小説はもとより漫画やゲームだって、「書く(描く)人」と「読む人」がいれば十分に伝わるし成立している。例えばこの、

ヴァジュイールさんにボイスなどはないが、高圧的に楽しそうな声色で言っているんだろうなぁ、なんなら気障な手振りとか付けてるんだろうな、となんとなく想像はできる。ああ、想像したらまたムカついてきたな。こいつ絶対許さない。

 とはいえ普通に作品を楽しんでる読者・プレイヤーの大半は一つ一つの台詞のニュアンスを仔細に想像なんてしないので、そのぶん話運びだったり演出だったりでうまく誘導して感情移入させるのが作家の腕の見せ所と言えるだろう。

 しかし、「そんな声色」や「そんな動き」を実際の人間が演じてみせるとなれば、これは話が変わってくる。人物の一挙手一投足に演じる人の解釈と表現が大いに入ってくるし、そのディテールはほとんどの人のなんとなくの想像を大きく超えてくる(それが仕事なので)。

 仕事の関係で作品にボイスを入れる過程に立ち会ったことがあるが、ボイスの入る前後で表現の主役が絵やテキストから声へと完全に変わって、別物のように生き生きしだしたのをよく覚えている。悪く言えば他がぜんぶ霞んでしまったのである。

 サガシリーズにも非常に分かりやすい例がある。Vitaの『サガ スカーレットグレイス』が同『緋色の野望』としてPS4に移植された際に各キャラにボイスが付いたことで、それまでモブ同然だった仲間たちがそれぞれの個性を獲得して喋りまくるようになった。台詞そのものがかなり面白かったのもあって、ゲーム全体が全く違う印象になったのだ。

 これらの場合は声の演技ということになるが、キャラクターをその身を通して表現せんとする「演じる人の存在」というのは、元々それが無かった作品にとっては衝撃的に大きい。いやこれは本当に凄くて、作品にとって圧倒的な情報量のプラスであり、表現の次元が一つ押し上げられるくらいのインパクトだと思う。だから実写化にしろアニメ化にしろ、原作を壊すとか壊さないとかいうせせこましい懸念を時に吹き飛ばして、全く新しい世界を見せてくれることがある。それが演技の力というものなのかもしれない。

 特にゲームってのは元よりプレイヤーなりAIなりがキャラクターを「演じている」側面があって、ある意味ではゲームキャラクターとは「演じられる」運命にある存在なんですよね。私のエレンとあなたのエレンは似てるようで違うし、私の最終皇帝とあなたの最終皇帝なんてもっと違う訳じゃないですか。だったらサガステの最終皇帝はサガステの最終皇帝なんですよ。そういう視点で見れば、ゲームキャラクターはあらゆる形で演じられていいし、舞台ともなればそれは目の前で繰り広げられる最高のロールプレイなんです。

 無論、「主役はあくまで元の作品であり、せせこましかろうと原作のイメージをなるべく壊さずにやってくれるほうが良い」という向きもあるだろうが、自分としてはどうせならこの次元兵器でビッグバンを起こして新しいものが誕生するところが見たいと思ってしまう。それが、新鮮な驚きを見せてくれることにかけては抜群の信頼を誇るサガシリーズの展開であるならば尚更そうだ。

舞台の側から見たゲーム原作

 逆に舞台の側からゲーム原作ものという題材を見るとどうだろう。自分は結構普通のミュージカルとかも観るんだけども、舞台って潜在的な需要に比してあまりにも「実際に見てみないとよく分からない」ものすぎるんですよね。チケット高いし。みんなが知ってる馴染み深い原作やそのコミュニティからのプッシュという取っ掛かりがあることで、多少でも「ここで何を観れるか分かっている」状態で臨めるのは大きい。心理的なハードルが一つ下がる。

 また、演技がいくら素晴らしくて、いかにキャラクターの内面が表現されていようと、上映時間のその場限りのキャラクターに強い思い入れを持つのは難しいし、頭の中で醸成されるイメージもそれだけ少ない。そこは舞台というもののちょっと勿体ないところだと思う。その点、ゲームキャラクターとの付き合いは往々にして長く、数十時間に及ぶこともある。舞台の外でよく見知ったキャラクターが演じられているとなれば解像度も段違いだし、一つ一つの表現が記憶を刺激するから圧倒的に多くが伝わりやすい。ゲームと舞台の性質の違いは、お互いを補い合うような関係にあると思う。

 もっとも、舞台とは最終的に生モノであり、長い時間をかけて作ったものをパッケージして届けるゲームとはなんというか……「火の入れ方」が全然違うだろうことは予想に難くない。つまり……圧力鍋と炭火焼みたいな違いがあって、ほろほろビーフシチューは炭火じゃ作れない。この例えで伝わってます??

 どんなゲームでも舞台にしたらいいということは多分なくて、素材を渡す側にも受け取る側にも、ビーフシチューの材料でバーベキューをするぞ!という相応の覚悟と熱意が必要で、だから難しいのだとは思うし、それをわざわざやってるんだからサガって凄いよなとも思うのであった。

余談:マルディアスの大地は遠く

 最後に一つ言わせてほしいことがあるのだが、聞いてもらえるか?

 本来サガステ第三弾として上映される予定だったのがコロナのあおりで上演中止になったままの『ロマンシング サガ』原作『約束のマルディアス』は今どうなってるんですかね!?

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 いや分かるんですよ。興行なのだし役者さんのスケジュールもあるだろうから、一度タイミング逃すと難しいのは分かる。分かるが、いつか絶対実現してほしい。

 当ブログはナイトハルト殿下の舞台での活躍をいつまでもお待ちしています。

 

▼『七英雄の帰還』冒頭動画

こちらが前作。とりあえずオープニングアクトだけ見てほしい(二回目)。

youtu.be

*1:最新作『サガ エメラルド ビヨンド』はボイス搭載で2024/4/25発売!

『トリリオンゲーム』のスマホゲームヒット論がガチだった件

自分が詳しい分野や実情をよく知っている業界がフィクションに登場すると、細かい間違いやディテール不足、あるいは誇張が気になってしょうがないというのはよくある話。

スマホゲーチョットクワシイを自称する自分も例外じゃなく、ゲーム開発をテーマにしたフィクションの八割方には乗り切れないものを感じている。それは必ずしも作者が門外漢だからとか取材不足に起因するのではなく、たとえ同じような仕事をしていても環境や立場で見えているものは違ったりするので、まぁなかなか難しいものですよね……

 

……と思っていたのだが、ここに来てゲーム開発が主題というわけでもない作品で見事なガチ描写があり、訳知り顔は引っ込めることになった。

ドラマ『トリリオンゲーム』第6話で滾々と語られたのは、次のような「スマホゲームヒット論」だ。

  • スマホゲームの売り上げとは
    • 「アクティブユーザー数×一人当たりの課金額」である
    • つまりは「継続させること(ゲームとしての面白さ)」と「課金させること(買いたくなる商品)」の両輪を回す必要がある
    • そこに強力な広告宣伝の力でユーザーという燃料を注ぎ込む
  • ユーザーが課金する理由は
    • 他のユーザーに勝ちたいと思うからだ(競争原理派)
    • いや、遊んでいて心が揺れた瞬間があったからだ(体験派)
    • 結局有名キャラをガチャに突っ込めば売れるんだよ!(射幸派)
  • ゲームデザイン的な小技
    • ユーザー有利なイレギュラー挙動はあえて残し「自分で見つけた」と思わせる
    • リリース直後に超少額でお得な商品を仕込み、「最初の課金」のハードルをクリアさせる

こいつぁ……CEDEC*1講演かな?

いずれも基本的な考え方と言ってしまえばそれまでなのだが、なんせユーザーにじゃぶじゃぶ課金させようって話なのであまり大っぴらには語られないような内容だし、ぼんやりしたプロデューサーならこういう原則をうっかり忘れてて足下を掬われるなんてこともザラだ。スマホゲー開発で一発当てようって人間相手に語るヒット論として、かなり実践的でリアルな内容だと思う。

いきなりARPPUの話から入ったのでおおっと思い、お試し少額課金の話が出たところで取材の精度に感心するのを通り越して思わずコーヒーが気管に入ってしまった。

ここまで惜しみなく監修協力した売れっ子プロデューサーはどこの誰ですか!?

どこの誰だったか

この辺りの展開は原作にもあるようなのだが、とりあえずドラマのクレジットに載っていた監修協力者の名前で調べたところ、元・アカツキのプロデューサーとのことで大いに納得した。

アカツキといえば『ロマサガRS』や『ドラゴンボールZ ドッカンバトル』の開発運営元。スマホゲーでもコンソールゲームと見紛うクオリティのグラフィックや手触りで殴るのが主流になったこの時代に、強力なIPキャラクターを武器に2Dイラストのガチャを回させて、ガン積みした育成要素でひたすら遊ばせてユーザーを離れさせない――というまさに劇中でやったようなレガシーなマネーゲームで今もランキング上位を戦い抜いているメーカーである。

大丈夫かアカツキ。機密流出してるぞ。

ていうか『トリリオンゲーム』が面白い

アフィリエイトリンクなので気にする人は注意

驚きのあまり作品を紹介していなかった。『トリリオンゲーム』は、エンジニアとしての腕は確かだが要領の悪い主人公が、コミュ力お化けで世渡り上手な友人の誘いで一緒に起業し、二人で1兆ドル(トリリオンダラー)を稼ぐことを目指す!……という話。

何より素晴らしいのは、先のヒット論が単なる業界蘊蓄に終わらず、物語上の展開やテーマにがっつりと絡んでくるところだ。

以下、少しだけネタバレがあります。

特に展開と絡んでくるのがこの、

  • つまりは「継続させること(ゲームとしての面白さ)」と「課金させること(買いたくなる商品)」の両輪を回す必要がある

という論で、売上よりも純粋な面白さを求めるゲーム開発チームと、お金大好きなプロデューサーの二者がどちらも欠かせないのだという結論を導くし、主人公二人がそれぞれの信念を貫くことで、中身とハッタリの両輪が揃って勝利を勝ち取ったという展開とも見事にリンクしている。

ちなみに現実では、この継続施策と課金施策の両輪が上手く回らないと「面白いけど課金するところがない」ので売り上げが上がらず、あるいは「課金圧ばっかりでストレスたまる」のでユーザー離れを起こし、結果早々にサ終、というよく見る光景になります。つくづく経済の縮図だなあ、スマホゲームってのは。

ベンチャー企業スマホゲー開発で一攫千金を狙う」という筋書きは(ソシャゲバブル全盛期ならいざ知らず)今やるには遅まきな展開だと最初は思ったのだが、大資本にものを言わせた広告に、もっと影響力の強い広告をぶつけることで凌駕するという、ここ数年の事情を反映した展開もあってよかった。広告で殴らないと箸にも棒にもかからない時代よ。

そして物語は情報発信をテーマにしたメディア編へと繋がっていくのだった……!

世界がどのような論理で動いているのか。その中でどのように裏をかき、どのように成り上がるのか? 経済というものと真っ向から対峙しようとする本作が、様々な業種の本音やジレンマを扱っていくのはある意味で必然でもあるけれど、フィクションの動力を借りて世界の姿を描こうとする試みはスリリングで目が離せない。こういう話が好きです。

ドラマ版はキャスティングも全員ハマってて良かったですね。日本のドラマはタレント役者ばかりと批判されがちだけど、こうやって演じる人の個性と役柄が化学反応を起こして面白いことになるパターンもあるので、一概に悪いとも言えないのよね。役者を美しく見せたいあまり、ヘアメイクが張り切りすぎていて違和感(冴えないキャラクターなのに小綺麗すぎる)が出ていることも多いけど、桐姫みたいな元からゴージャスなキャラだと映えること映えること。全体に日本のドラマの特徴と相性が良い原作だし、それを活かしきったなと思う。

なんか妙に見覚えある人がいるなぁと思ったら、声優の津田健次郎だった。

www.tbs.co.jp

近々アニメ化もするとのことで、こっちはどうなるでしょうね。

trilliongame-anime.com

*1:毎年夏に行われるゲーム開発者向け講演会。第一線のクリエイターが豊かな専門的知見を共有してくれるが、参加費が高い。

ゲームが現実を侵略する日。みなとみらいの奇祭「ピカチュウ大量発生チュウ!」

ピカチュウ大量発生チュウ!」。2014年から2019年まで、横浜みなとみらいで毎年夏に開催されていたイベントである。

一週間程度の期間中、みなとみらいの主要な施設――みなとみらい線みなとみらい駅、JR桜木町駅ランドマークタワーパシフィコ横浜日本丸、赤レンガ倉庫など――をポケモン一色に染め上げ、ピカチュウ(など)の着ぐるみによる行進やステージショーがエリア内の各所で開催される。祭りだ。

2020年以降はコロナ禍に伴って休止されていたが、今年2023年にはパシフィコ横浜で行われるポケモンバトルの世界大会との併催という形で「ポケモンワールドチャンピオンシップス2023横浜みなとみらいイベント」として事実上の復活を遂げた。

恒例のJR桜木町駅舎ラッピング

こちらも恒例、駅前の巨大バルーン

ランドマークプラザの吹き抜け下には巨大ポケモンカード

フォトスポット

今年は全体にポケカ推し

パシフィコ横浜の会議センターには特設会場が

ゲームの体験コーナーやご当地コラボコーナーなどがあった

マークイズみなとみらい前の行進。大人気

さらば

今年は混雑防止のためか、ステージショーなどは事前予約制となっていた。レポとしては中途半端でごめんだが、雰囲気だけでも伝われば嬉しい。他、フォトスポットも広範にあったり、ドローンショーが凄かったらしいですよ。

www.pokemon.co.jp

初開催時の衝撃

さて、ここからが本題だが……これって一体なんなのだろう?

遡ること9年前(!)、初開催の2014年夏。桜木町駅から一歩出て、この光景を初めて見たときの衝撃はなかなかのものだった。

駅前広場ではピカ耳カチューシャが無限に配布されていて、子供も大人もそれを着けて歩いている。黄色いコスチュームに身を包んだお姉さんが笑顔を振りまいている。そこら中に設置された大小のピカチュウバルーン。右を見ればビルの壁面にでかでかと貼られたポスター、左の遊歩道には吊り下げ旗がはためき、モールに入れば天井からはピカチュウのぎっしり詰まった謎の装飾がぶら下がる――どこを歩いてもあの黄色い姿が視界に入る……

 

……ここがポケモンが世界を征服した世界線ですか?

まるで街ひとつが丸ごとテーマパークになっているよう。用意された様々なショーやアクティビティももちろん楽しかったけれど、何よりも居るだけで心躍るような空間がそこにあった。

周囲を見回せば子供の姿が一番目立つが、思いのほか大人の姿も多い。そう、このイベントを成功させた真の要因は、ポケモン好きの子供だけでなく、昔ポケモンが好きだった、普段浮かれることの許されない大人にも目配せしたことではないだろうか。大人だってカチューシャして街中を歩き回りたいし、水かけられてはしゃいだりしたいのだ!

各種テーマパークというのは半分その欲求を満たすためにあるんだと思う。しかし繰り返しになるが、このイベントが特殊なのは、テーマパークではなく街中を舞台にしているところだ。

何故やるのか? 何故ピカチュウなのか?

2018年

これらの催しはほとんどが無料。ごく一部入場料制のイベントがあったり、各所でグッズを売ったりはしているものの、割に控えめ。だいたい混んでいて買いたくても買えないくらいなのだ。年々商売っ気が薄れていくような印象もある。どう考えてもイベント単体では赤字だ。いや、もしかしたら各施設から何らかの利用料のようなものがあるのかもわからないが、それにしたってひとつひとつの催しで十分にお金が取れるような内容を、お客さんに無料で提供していることには変わりない。

では何のためにこんなことを?

2015年

特定のキャラクターが街一つを徹底的にジャックする。その主役がピカチュウポケモンであるというのは機能面では納得のいくことだ。これしかないとも言える。老若男女誰もが知っているキャラクターでありながら、オンリーワンではなく飽きるほどたくさん居ても構わない。むしろたくさんいればいるほど面白みがある。そんな存在は他になかなか居ないだろう。

2016年

でも同時にそれはとても奇妙でもある。

町ぐるみのイベントは、ある意味ではテーマパークよりも敷居が高い。そこは公共の空間で、住む人や働く人にとっては生活の空間でもあるからだ。

みなとみらいは埋立地に作られた計画都市。近未来的なショッピングモールやオフィスビルが建ち並ぶ、美しい景色が売りのデートスポットだ。普段はそれなりのおしゃれタウンであるそんな街に、たかだか四半世紀ちょっとの歴史しか持たないゲームキャラ、この小さな黄色い電気ネズミが跋扈することが許されているのはちょっと不思議だ。

towersea255.hatenablog.com

前にも書いたが、ポケモンのことを冷静に考えると妙な気分になる。

小さな子供向けのキャラクターか? 二十年前はそうだったような気がする。大学生や、若い親世代にも人気のキャラクターか? 十年前はそうだった気がする。今はどうだろう。このモンスターはじわじわと、老若男女みんなが知っている、あらゆる場所でそこに居て当たり前のキャラクターとしての市民権をもぎ取っていきつつある。

2017年

そりゃ、ポケモンが何故成功したのか? なんて問いには、ゲームが面白くて、ゲームボーイという歴史的プロダクトと相まって滅法売れたからだよとか、アニメが良く出来ていたからだよとか、キャラクターデザインが魅力的だったからだよとか、早くから海外展開を上手くやったからだよとか、いくらでも理由はあるんだろう。それにしてもだ。それにしてもあまりにも大きすぎである。ゲームボーイの画面の中でヂャァァァッって鳴いてた頃に、こんなことになるなんて想像したか? なぁピカチュウよ。

何故許されているのか。それは長年にわたって多大な努力が払われた結果だろう。このイベントもきっとその一つだ。

イベント単体の採算よりももっと大きな目的――ポケモンという存在そのものの拡大計画の一環として、この奇祭は粛々と執り行われているのだと思う。居て当たり前の存在にして、我々の生活に溶け込ませようとする、そうこれは侵略である。いずれポケモンは本当に世界を征服するのかもしれない。

いや、もしかしたらもう既に……?

2018年

ピカチュウたちはたぶん来年も、夏の訪れと共にみなとみらいを侵略しにやってくる。

無料イベントということもあって行列・待機列は覚悟した方がいいイベントなのだが、必ずしもそこまで頑張る必要はない。みなとみらいを観光がてら、目の端に映り込むピカチュウたちを眺め、ただあの空気を吸って異空間を感じるだけでも価値のある祭りだと、久しぶりに目にして改めてそう思った。

ゲームが現実を侵略する。ゲームファンなら一度は見ておきたい、痛快な光景がそこにある。