束子ダイナミック

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【推しの子】が暴こうとする、推す者と推される者の絶望的な「すれ違い」。それでも光はあるから

【推しの子】アニメ1期、良かったですね。原作をきっちり拾うあまり若干メリハリに乏しいかなという部分はありつつも、見せ場をしっかり膨らませる演出力と楽曲の魅力、声優陣の好演熱演で全部持っていった感じ。コミックスのときから大好きな作品なのだが、アニメ化でまた一段と人気が出た印象があって喜ばしい。

youtu.be

さてこの【推しの子】だが、可愛いアイドルを前面に押し出したビジュアルやタイトル、ネタバレを避けるとなかなか突っ込んで語れないという序盤の仕掛けも相まって、未読・未見の人からは結構内容が誤解されている作品でもあると思う。

確かにこの作品はエンタメとして面白い。華やかで可愛く、たまに息を呑むほど残酷で、勢いがあり、謎めいている。しかし、ただ面白いだけがこの作品の魅力ではない。エンタメでありながらエンタメのあり方を批評するような、ある種倒錯したスタンスを持った作品なのだ。

それを語るには少々のネタバレが不可避になるので、今回は思い切って最序盤をネタバレしてしまいつつ、私が本作の何をそんな持ち上げているのか、何故この作品が2023年の今、ここまで関心を惹き続けるのか――について考えてみたいと思う。

もちろん何も知らない状態が一番楽しめるとは思うが、多少のネタバレで面白さが大きく棄損されることはない作品だと思うので、全然知らんぞという人でもこれを読んで興味を持ってくれたら嬉しい。

注意:本稿には【推しの子】アニメ1話(コミックス1巻)までのネタバレが含まれます。また直接的なネタバレは避けますが、その先の内容にもいくらか触れています。

すれ違いが招く悲劇

人気急上昇中のアイドル、アイにはある秘密があった。彼女は16歳にして双子の子供の母親となっていたのだ。隠し子という巨大な嘘を抱えたまま20歳を目前にした彼女は、遂にアイドルとして一つの頂点に至る――と思われた矢先、アイはその嘘を知ったファンによって殺されてしまう。だが、ただのストーカーにアイの秘密や居所を知れるはずがなかった。情報を流した人物、それはアイが唯一連絡を取っていた、彼女が誰にも秘密にしていた双子の父親なのではないか?

アイを死に追いやった真犯人=自身の遺伝子上の父親を突き止めて復讐するため、双子の片割れであるアクアは芸能界に足を踏み入れることを決意する。そして母親に強い憧れを持つもう片割れのルビーもまた――。と、このような具合で、以降は高校生へと成長したアクアとルビーを中心に据え、犯人探しと芸能活動が本筋となって物語は進行していく*1

本作はいわば、アイドルものの皮を被ったサスペンス作品といったところだろうか。キラキラした無敵のアイドルに訪れた、あまりにも理不尽な結末。コミックスでは1巻ラスト、アニメでは1話ラスト*2に配置された意外な展開と落差で、物語にぐっと引き込むフックが作られている。

だが、ここで注目したいのはそういった作劇の上手さではない。物語が進むにつれて、この作品において一番重要視されているのはアイドルそのものではなく、芸能界でもなく、サスペンスですらないのではないかと思えてくるのだ。

本作は隆盛極まる「推し」文化の陰で今も絶えず起きている、推す者と推される者のすれ違いと、それが招く悲劇(そしてこれからも招かれるであろう悲劇)について語ろうとする話なのではないだろうか。それを可視化し、暴き、突き付ける試みがなされているのではないだろうか?

そのすれ違いを象徴する出来事が、第一幕の終わりを告げるアイの死なのである。

愛の押し付けあい

「推される者」というのは、何もアイドルや役者などの表舞台に出る演者に限った話ではない。裏方である事務所社長、映画監督、プロデューサー、番組ディレクター、舞台演出家、脚本家、etc……といった広い意味でのエンタメの「送り手」側も、作中では同様にクローズアップされる。

主人公たちが取り組む芸能界の仕事にまつわるエピソードで繰り返し描かれるのは、そうした「送り手」側と、それを享受する「お客さん」側(つまり多くの場合の我々)との間で起きているすれ違いの模様である。

なんというか、実によくある話だ。

例えば「漫画の実写化が原作と似ても似つかない代物になってしまうのは何故か?」。

恋愛リアリティショーってどこまで本当なの? どうして許されているの?」。

スキャンダルでファンを裏切るアイドルってプロ意識が足りないんじゃないの?」。

あるいは「テレビ局の取材依頼って何であんなに無礼なの?」とか。

こういった話を見聞きして、誰もが一度は思ったことがあるだろう、「なんてヒドい話だ」と。一体どうなってるんだ? ファンを軽んじて金儲けと保身のことしか考えてない、愛の無い業界人が、悪意を持って我々の夢をめちゃくちゃにしてるのか?

本作はそうした疑問に対し、送り手側からの景色を描くことで、普段多くの人が見ている受け手側からの景色とのギャップを伝えようとする。

確かにこの作品は企画からして売り手の都合が前に出過ぎている

(中略)でも 役者や裏方さん個人個人は精一杯やってて

見てくれる人や原作ファンの為に少しでも良い作品にしたい

せめて「観れる」作品にする

その為なら へたくそな演技もする

――コミックス第十五話「漫画原作ドラマ」より

描かれるのは、一見して「ファンを蔑ろにする業界人」や「高慢な態度を取る芸能人」に見える彼らが、それぞれなりの情熱をもって仕事に取り組む姿だ。

時にクオリティよりもしがらみや商業的な都合が優先されてしまうこと。精一杯やった結果、至らないことはあるということ。それについての反省や後悔――これらのエピソードは実際に業界に身を置く人々への取材をベースにしているらしいが、作者自身、アニメ化や実写化を経験してきた漫画家であり、その立場から見た景色も大いに含まれているだろうと思う*3

超絶余談なのですが、私も一応エンタメ絡みで飯を食ってる人なので*4、この情熱と諦めの入り混じった温度感はとてもよく分かる。基本的にはみんな、お客さんに楽しんでもらうために全力を尽くしたいと思っている。しかしそれだけではちっとも首が回らないのがこの商売の因果なところであり、大人の事情でガチガチに縛られて、それでも飲み込んでやれる人が泥にまみれているのが現実である。たぶんどこも似たようなもんなのだろう。夢も希望もないね。

送り手側の立場に立った描写はともすれば言い訳じみた擁護であり、それを理由に本作が批判を受けているのを見たのも一度や二度ではない。気持ちは分かるが、しかしその葛藤や真意は「そんな大人の事情なんて私たちには関係ない」「それを何とかするのが仕事でしょ」とバッサリ切り捨て、それで終わっていいものなのか。

本作の重要なキーワードとして、「嘘は愛」というものがある。

いつか 嘘が本当になる事を願って

頑張って 努力して 全力で嘘を吐いてたよ

私にとって嘘は愛 私なりのやり方で 愛を伝えてたつもりだよ

――コミックス第九話「星野アイ 後編」より

これはアイの台詞だが、嘘で愛を語ることはアイドルだけの専売特許でもない。お客さんを楽しませたいからこそ、苦労して壮大な嘘(フィクション)を作り上げ、最善を模索して、時に妥協しながら何かを送り出す人たちもまた同じだ。人の心という不定なものに依存した商売は多かれ少なかれ博打であり、成功する保証などない。それでもそこに挑む原動力は他ならぬ「愛」であることを、【推しの子】の物語は切々と訴えかけてくる。

一方で、送り手がお客さんの求めるものを大きく読み違え、失望させるケースが往々にして存在するのも事実である。いくら愛があったって、その愚鈍さに罪が無いとは言えないだろう。

的外れなモノを見た人は思う。「どうして分かってくれないんだ」と。

その批判を見て送り手は思う。「どうして分かってくれないんだ」と。

互いの中にあるのが愛だからこそ、失望は一瞬で憎しみに反転するのである。

エンタメ作品として残す爪痕

そうしたすれ違いの結果として本作が扱う事象には、殺人や自殺未遂などのセンシティブな内容も含まれている。そのため、「実在する深刻な問題を軽々しく扱っている」という批判もある。

こうした批判はある意味では的を射ていると思う。こういったエピソードの締めくくりに、大体はしっかりとしたカタルシスが用意されているためだ。主人公たちは謀略を巡らせ、諸問題に一矢報いる。エンタメとしては正しい展開だが、実際はそう簡単に解決できる問題だけではないだろう。

イケる!!

これイケる きたぁあああ!!

――コミックス第二十七話「バズ」より

そう、本作はあまりにもエンタメ志向な作品だ。エンタメにまつわる問題を批判しながらも、誰よりも全力でエンタメしている作品なのだ。

煌めく才能の集まる芸能という舞台、顔の良いキャラクターたち*5、刺激的な事件、非現実的な設定、胸のすくような展開、読者を翻弄する狙いすました構成。エンタメ作家の性としてそうなってしまったのか、意図したかはともかく、作品内にも読者を楽しませるための様々な「嘘」があり、皮肉なねじれとなっている。

そのため【推しの子】という作品の読者/視聴者層は、本作がしばしば批判しているような「無自覚なお客さん」とも少なからず重複するように思う。

先ほど、アイドルものと見せかけてサスペンスであるという落差と意外性が本作のフックになったと書いた。だが実際、アイドルに対する傷害事件や芸能人の自殺はそれなりの頻度で現実にも起きていることだ。意外な組み合わせだと思うこと自体が、普段いかにそこから目を逸らしているかを浮き彫りにしているとも言える。

皆 自分だけは例外って思いながら しっかり人を追い込んでるのよ

何の気無しな独り言が人を殺すの

――コミックス第二十六話「嵐」より

この話をエンタメとして楽しむとき、我々はどこかで「自分だけは例外」だと思っている。そんな読者を巻き込んで刺しに行くような主張を展開しているわけだ。

だが、だからこそ本作がこういった問題を描くことには大きな意義があるとも言える。真摯な問題提起から目を逸らし、他人事にしてしまう心理にも、エンタメという形で爪痕を残すことができるかもしれないからだ。

アイを殺したのは誰?

そして本作をサスペンスたらしめる、物語上最大の焦点である「何故アイは殺されなくてはならなかったのか」という疑問も、このすれ違いと無関係ではない。

《ストーカーの男はアイに男が居ることに気付いてたんだよ》

《だとしたら刺されて死んだのもしゃーなしな所もある》

しゃーなしって何? ねぇ?

アイドルが恋愛したら殺されても仕方ないの? ねぇ? そんなわけないでしょ!!

――コミックス第十話「イントロダクション」より

残念ながら、「(こんなことをしたのだから)殺されても仕方ない」という趣旨の発言は実際にもそう珍しいものでもない。こういう人は自分が殺されても「仕方なかったな」と思うのだろうか。まったく馬鹿らしい。

アイを殺したのは誰だろう。彼女の嘘に憤慨したファンか。それを吹き込み煽った真犯人か。彼女に嘘を吐くことを教えた社長と事務所か。散々持ち上げておいてリスクには知らんぷりを決め込む芸能界という仕組みそのものか。

それとも……綺麗な理想と耳ざわりの良い言葉だけを押し付けて、綺麗でないものの存在を許さず、その歪みに見ないふりを続け、いざ亀裂が表面化すれば裏切りだと誹る「お客さん」なんだろうか?

原作はそろそろクライマックスというところだが、まだまだ連載中であり、最終的な答えは出ていない。作品としてどのような結末が用意されているのか分からないが、一つの答えが出てしまえば、こういった問題提起について考える機会も失われてしまうかもしれない。あまりにも新しく(あるいはあまりにも長く放置されていて)、まだ誰も確たる答えの出せない問題を扱う本作は、連載を追いかけてこその作品だと思う。

それでも光はあるから

「推し活」という言葉が市民権を得た一方で、それを何か綺麗で清らかなもの――辛い現実からの逃避先だとか、罪の無い平和的行動なのだと位置付ける認識も根付いてきている。だが、何かを推すことは、決して「誰も傷付けない」行為ではない。その熱量が強ければ強いほど、時に誰かを追い詰め、対立を招き、取り返しのつかない結果に繋がることもある。提供されるものは幻想であっても、それを作る人も受け取る人も現実の存在である。「フィクションと現実の区別はついている」と嘯きながら、そこを履き違えてはいないだろうか。

手の込んだ嘘をわざわざ作り上げ、みんなで同じ夢を見ようとするなんて無茶なのだろうか。その結果として誰かが傷付くのだとしたら、こんなことは今すぐ止めるべきなのか?

 

しかし【推しの子】は同時に、推し推されることで生まれる輝きや、何かを表現し伝えることの喜びも描いている。送り手とお客さんの間で愛が通じ合う、奇跡のような瞬間も。

あまりに強い光の前で 人は

ただ焦がされる

――コミックス第二話「兄と妹」より

それでも 光はあるから

――コミックス第十七話「演出」より

何かに夢中になること。その危うさを自覚し、それを作り上げているのが完璧でない人間であることを認め、それでもどうしようもなくその輝きに惹かれてしまうのなら――覚悟と思いやりを持って「推せ」。【推しの子】という物語が伝えたいのはそういうことなんじゃないか、という気がするのです。

 

▼ジャンプ+連載 第一話

shonenjumpplus.com

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▼アニメ公式サイト

ichigoproduction.com

 

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インターネットの話。

towersea255.hatenablog.com

*1:もう一つの重要な要素である「転生」について完全に省いたあらすじなので、詳細は作品をチェックいただきたい

*2:1話でここまで収めるために初回90分という無茶をやった

*3:特にコミックス5巻~6巻、アニメ2期でやるであろう「2.5次元舞台編」に顕著である

*4:インターネットの自称エンタメ業界人なんて信用しちゃだめですよ

*5:どうでもいいけど、【推しの子】のメイン勢が美男美女ぞろいなのが主に鏑木Pとかいう一人のおっさんの趣味っていう合理的な理由があるの面白いなといつも思っている