束子ダイナミック

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現実を鼓舞するフィクションであることへの自覚と肯定。映画『グリッドマン ユニバース』感想

個人的に近年で最も刮目して見るべきTVアニメシリーズだったと評価している『SSSS.GRIDMAN(以下、GRIDMAN)』と続編『SSSS.DYNAZENON(以下、DYNAZENON)』。その両作品を融合する新作劇場版『グリッドマン ユニバース』が公開されたので、先日劇場で観てきました。

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両作品のキャラクターやヒーロー、メカが共闘するお祭り作品であり、スクリーンサイズの熱いバトルが楽しめる作品であり、意欲的で切実なテーマをストレートに描き切った作品でもあった。高いハードルを軽々超えていく相変わらずの跳躍力には驚かされる。

シリーズを知らなくても観てほしい! と言いたい気持ちは山々なのだが、本作は基本的には『GRIDMAN』と『DYNAZENON』を観た人向けの映画だろう。最初におさらいも兼ねて両作品についてネタバレ控えめで簡単に紹介してみるので、興味を持ったら是非とも順番にどうぞ。2023/3/29現在、過去作はアマプラ等で配信されている模様。各12話だからサクッと観れるぞ。更に言うと、これらには原作となる1993年放映の特撮作品『電光超人グリッドマン』があるが、私はこちらは未見であることは最初に白状しておく。

『SSSS.GRIDMAN』~自分の中の怪獣を救えるか

同級生の女子・宝多六花の家で目を覚ました響 裕太は、自分が記憶喪失になっていることに気付く。混乱の中、街には怪獣が現れて街を破壊し始める。古いパソコンの中から「グリッドマン」の声を聞いた裕太は、彼と一体化して怪獣と戦うことに。友人の内海 将と六花が見守る中でなんとか怪獣を倒すも、次の日には怪獣の存在は他の人の記憶から消し去られ、怪獣によって命を落とした人は「前からいなかった」ことになってしまっていた――。世界は一体、どうなってしまったのか?

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本作の魅力として、まず主人公たち「高校生という存在」への異様な解像度の高さがある。気怠い調子の会話、掴めない距離感、黒板消しクリーナー、昼休みの教室。乾いたトーンで映し出される日常の手触りは、怪獣との戦いという非日常の恐怖と興奮を際立たせる。

やがて物語の焦点は、怪獣を生み出している「一人の少女の心を救うこと」へとシフトする。本シリーズにおける怪獣とは、生きづらい現実への憤りが発露したものであると位置付けられているように思う。おだてられ、そそのかされて、怒りに任せて怪獣を暴れさせる彼女への救いは、どんな形で差し伸べられるのか? 衝撃的で鮮やかなラストは必見。

『SSSS.DYNAZENON』~他者と関わり、少しだけ変われる

友人たちと平凡な青春を送る麻中 蓬。そのクラスメイトで、病的な約束破りを繰り返す南 夢芽。無職の33歳、山中 暦。その従妹で不登校飛鳥川ちせ。そして行き倒れの怪しい男、ガウマ。全くもってバラバラな彼らは、成り行きで合体ロボット「ダイナゼノン」に乗り込んで怪獣と戦うチームにされてしまう。冗談みたいな状況に戸惑いながらも戦いを繰り返す中で、彼らの停滞した心はほんの少しずつ動き始めていく。

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彼らの敵は、怪獣を操る力を持ち、暴れさせることを使命と考える「怪獣優生思想」なるチームだ。こちらもそれぞれに葛藤や鬱屈を抱えており、チーム内や主人公たちとの交流を重ねることで少しずつ変わっていく者もいる。彼らは基本的には悪ではあるのだが、そうすることにしか意義を見出せない悲哀が感じられて憎み切れないものがある。

本作は、『GRIDMAN』ではフォーカスされなかった「他者」というものについての話であると思う。「他者と関わり合うことで、少しだけ良い方に変われる」という希望が示されている。「少しだけ」というのもポイントで、大きく変わったり、これまでの自分を全く捨て去るような劇的な変化ではない。少しだけ幸せな結末の、そのささやかさが切なくも愛しい。

グリッドマン ユニバース』~物語についての物語

以上の両作品は少しだけ繋がりはありつつも、基本的には独立したお話だった。特徴的なのは、どちらも現実との繋がりが強く意識され、特に主人公たちと同じ時間を生きる(若)者に対しての救済やエールとも受け取れる内容になっているということだ。「特撮作品を原作に持つアニメ作品」という風変わりな越境企画が、その軽やかさを担保しているようだった。

特撮にはあまり明るくないので的外れだったら恐縮だが、怪獣という存在は得てして何かのメタファーである。現実における恐ろしい存在――災害や戦争や心の傷が、怪獣という巨大なフィクションに託して表現される。〈現実 対 虚構〉は『シン・ゴジラ』の宣伝コピーだが、怪獣ものに共通した永遠のテーマなのかもしれない。

グリッドマン ユニバース』の中心に据えられているのは、虚構=フィクションという概念そのものであるようだ。『GRIDMAN』と『DYNAZENON』という二つの物語への自己言及であり、言及はこの映画そのものにまで及んでいる。そして、そうしたフィクションが現実を鼓舞し、前に進む力となることへの信頼を力強く示している。

 

※以下、『GRIDMAN』の結末に触れ、『ユニバース』もネタバレ全開します

 

創造することの肯定

新条アカネが作った世界は、彼女が現実へと帰還し、去っていった後にもまだ続いていた。六花と内海は学園祭のクラス演劇のため、皆に忘れられてしまった『GRIDMAN』作中での出来事を題材に脚本を書くことになる。

本作の日常パートを担う、プロットを検討したり、小道具を作ったりといった作業は、一つの作品を創造する過程だ。学園祭の出し物であるから、商業的なしがらみやプロ意識と無縁の、純粋に伝えるための創作に近いものである。自分たちの世界から迷い込んできた『DYNAZENON』勢もこれに参加し、脚本には彼らの物語が取り込まれていく。

冒頭に書いた通り、本作は完全に初見で見るにはやや厳しいものがある。一応簡単な解説はあるが、さすがに登場人物が多すぎるし、両作品の内容をしっかり覚えていないと付いていけない細かいエピソードも多い。この情報量を成立させている脚本のレベルは相当に高いと思うが、それでもスッキリしているとは言い難い混沌だ。二つの物語が盛り込まれた作中の脚本についてコメントされる「フィクションはカオスなくらいが面白い」という趣旨のセリフは、本作そのものについて評しているようにも聞こえる。

これらの創造行為は、最後に敵に立ち向かうための鍵となる。過去の記憶を持った敵には過去の戦力では勝てないから、新形態を作り出す必要がある。つまり、『GRIDMAN』『DYNAZENON』という独立した二つの作品だけでは足りなくて、本作『ユニバース』で両者が交錯することで生まれた新しいイメージが必要ということだ。ダメ押しとなる「何度も描いたり消したり」する発想も創作の過程を思わせる。創造のパワーで敵を打ち破るのである。

そして学園祭当日、演劇が終わったあとのシーン。伝えたかったメッセージが意図通りに受け取られたとは限らないけど、それでも「みんな笑ってた」し、「やってよかった」。これもまた創造への肯定である。何気ないやり取りだが、作り手側の視点がダイレクトに表れているシーンだと思う。

フィクションの存在意義

予告編で印象的な「裕太が涙を流すカット」。本編中では「それほど積極的でもなく観に行った演劇で不覚にも感動してしまった」というシーンであり、そこなのかよ!とツッコミを入れたくなるようなコミカルな見せ方がされている。だが終盤このカットがもう一度リフレインされるとき、これがやはり重要なカットであったことに気付かされる。それは紛れもなくフィクションに心を動かされた瞬間だからだ。

本作の自己言及の中でも特に強烈なのが、登場人物自身が自分たちが空想の産物であることを認識しつつも、その世界で生きていくことを肯定するという展開だ。本編終盤で新条アカネが作り出した世界であることが明示されていた『GRIDMAN』勢のみならず、『DYNAZENON』の世界までもがこのユニバースの一角であったことが判明するが、彼らはそれを受け入れて、自分たちの世界へと帰っていく。この受容はフィクションの存在意義の肯定であると同時に、現実を生きていくしかない我々にも世界を受け入れるように促す意味合いもあるのかもしれない。

『DYNAZENON』のラストについて、放映当時「ささやかすぎない?」というような感想を書いたのだが、今回の本当にラストにあたる『DYNAZENON』側のエピローグが「普通」のセリフで終わるんですよね。普通でいいじゃない、という楽観的な見方とも取れるし、世界を救ってやっと辿り着くのが普通なのか、という厳しさを表すものとも取れる。

普通にしていれば普通に幸せになれた時代がとうに終わりを迎えた今、現実を生きることは誰にとっても容易ではない。現実の辛さに耐えられないとき、人はフィクションに逃げ込むことができる。だからこそフィクションは、やがて現実に帰還し、立ち向かう力を与える杖とならねばならない。そうなることができるはずだ。そんな前向きなメッセージを受け取った気がする。

そのほかの感想

ここまでテーマを中心に語ってきたので、最後にそれ以外の感想を箇条書きにしておきます。

  • 基本は『GRIDMAN』側の続編として構成されつつ、『DYNAZENON』勢がピンポイントでいいところ持っていくバランスが絶妙で好き。
  • ダイナゼノンのターンまだか…?まだか…? ってさんざ焦らされて主題歌かかった瞬間のテンショングラフが凄かった。「僕らの未来を勝ち取るために」!!!
  • 子供がおもちゃで遊んでるかの如き無茶苦茶な合体がどんどん出てくる爽快さには、合体メカ愛好家ならずとも心が躍った。
  • ちせがゴルドバーンが出てくるたびに嬉しそうな顔をするのが無性に嬉しい。
  • かつてコミカライズをここまで厚遇したアニメ劇場化作品があっただろうか。これも僕らのユニバースだったのか……未履修だったのが惜しまれる。
  • アカネの怪獣優生思想コスはネタバレ解禁したら可及的速やかにグッズ化・フィギュア化するように。

パンフレットの監督インタビューによると、本作は「完結編というわけではありません」「応援があれば、続けられますよというラストにしたかった」「まだまだ展開していくことができる」とのこと。新しいものが生み出され続けていくことに価値を見出している本作の態度とも合致した意気込みが心強い。上映館が少ない割に興収的にも健闘しているようなので、次なる展開も期待できそうだろうか。

制作陣による"新しい創造"を楽しみに待ちたいところだが、仮にそれが実現しなかったとしても、どこかで誰かが新たなイメージを創造し続ける限り、私たちはこの不自由な世界に価値を見出すことができるだろう。そんな希望をくれる作品だったと思います。

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