『トゥモロー チルドレン(以下トモチル)』が復活するとのこと。
トモチルは2016年にPS4でリリースされ、翌年サービス終了した基本無料ゲームだ。開発はQ-Games、パブリッシングはSIE。
それほど長くは続かなかったにもかかわらず、社会主義国家をモチーフにした奇妙なゲームシステムと独特の世界観、ミニチュア風の質感のあるアートスタイルで一部に熱烈なファンを生んだタイトルである。
復活に伴って内容が変わる可能性もあるが、前回のサービス当時に遊んでいた一人として、まだ見ぬ同志のためにもその一風変わったゲーム体験について書いておきたい。
共に働け! 人類を取り戻せ!
本作は簡単に言うと労働ゲームである。プレイヤーは滅亡寸前の地球にて、人類復活のために働く"プロジェクションクローン"となる。
街を拠点として、その周辺に一時的に現れる島に通勤電車シャトルバスで赴き、鉱石やマトリョーシカに変わってしまった人間を掘り返したり、木材や果実などの資源を収集する。集めた資源を街へと持ち帰り、様々な施設を建設して街を復興させるのが目的だ。
これだけだと恐ろしく地味なゲームに聞こえるかもしれないが、街に襲い来る怪獣との防衛戦もある。
怪獣はせっかく作った施設を破壊してしまう困った存在なので、建設した固定砲台や、手持ちのロケランで迎撃するのだ。倒した巨大怪獣の死骸からは、貴重な資源が採掘できる。そう、結局は採掘するんだが。
また、本作はマルチプレイゲームである。つまりゲーム内でせっせと働いてる自分以外のプロジェクションクローンもまた、実際の人間だ。究極の社畜ごっこがそこにあった。
トモチルにおける社会主義
世界設定やアートだけでなく、ゲームシステムにも社会主義は組み込まれている。
トモチルにおいては「ものを所有する」という概念がほとんど無い。貢献度に応じて配給券が貰えて、モノと交換もできるけど、それはあくまで配給。基本的に全ては国家の共有財産だ。
なので地面に置いたランタンを他の人がどこかに持っていってしまっても基本的には不問。逆に発見した資源の面倒を最後まで見る必要もないので、とりあえず拾いやすい場所に投げ捨てておいて、誰かが運んでくれるのを期待することもできる。
投げ捨てられたメタルを誰かが拾い、バス停まで持っていく。街に運ばれたメタルを他の誰かが集積所に入れる。また他の誰かが、そのメタルを使って街の設備を建設する。全体の利益のために動くとき特有の緩やかな協調が生まれる。
疲れないマルチプレイ
これにより、トモチルはマルチプレイゲームとしては珍しい特性を備えることとなった。
トモチルにはマルチプレイにつきもののプレッシャーや競争はない。責任や優劣が生じる場面があまりないからだ。お互いの存在もあえて希薄にされていて、すれ違いざまに「いいね」したり、ジェスチャーでなんとなく通じ合う程度のゆるい繋がりしかない。
貢献度を競い合うこともできるが、たとえ仕事をせずサボっていても、糾弾されることはほぼない。それでいて、共通の目的に向かっていく「同志」としての連帯感はある。
このゆるさ故にシングルプレイ感覚で労働できることが、自分のペースでのんびり労働したいプレイヤーたちから好評を得た。繰り返しになるが、このゲームには労働したい人が集まっている。
採掘先の島は一定時間で消えてしまうのだが、そうすると白い大地にバス停だけがぽつりと残される。慈悲の終バスがやってくるまでやることがなくなるので、皆で体育座りとかしてじっと待つことになる。そういう時に流れる、何とも言えない手持ち無沙汰で穏やかな時間が好きだった。
そして労働は続く
そんな労働の先にあるのは、街の復興だ。働きぶりや人数にもよるが、リアル時間でおよそ数日から数週間程度だったと思う。復興が完了すると、このように街は緑に包まれる。こうなるとその街はクローズされてしまう。そこに永住したり、いつまでも留まることは許されない。
復興中の街には自分の家を建てることもできるのだが(とはいえこれも厳密に所有物ではないので、他プレイヤーに勝手に色を変えられたりする)、最終的にプレイヤーの手元に残るわけではない。また地下鉄で次の職場へと赴くだけだ。プロジェクションクローンに安息の地はない。
F2Pという資本主義世界の中で
ところで本作は基本無料(Free to Play・F2P)ゲームだったが、F2Pというのは通常、資本主義の縮図とも言えるシステムである。どんなに見た目を飾ろうと、一皮むけば中身はそれほど変わらない。その多くは、ガチャに代表される堅牢な収益モデルを中心としたゲームサイクルを採用している。
こういったゲームでは、プレイヤーの手元に価値のあるもの(あるいは、価値があると思い込まされているもの)がどんどん増えていくのが普通だ。だが前述の通り、このゲームでプレイヤーの所有物というのは衣装くらいで、他はほとんど使い捨ての道具しかない。
トモチルの課金要素は主に二つあった。一つは買い切りのライセンスで、制限を解除して遊びの幅を増やすもの。もう一つは「西側(?)の高性能ツールを外貨で買う」という体で、便利な乗り物や武器など使い切りの道具を課金販売するものだった。
前者は全て買っても2000円程度のものなので、主力は後者のはずである。だが、これらを買えば確かに快適にはなるのだが、その有利さは社会主義の枠組みの中では、あくまで全体の利益に繋がっていくのみ(一応、貢献度ランキングのような要素はあったが)。
基本無料で収益を上げようとする以上、資本主義の原則から逃れるのは難しい。ここに根本的にイデオロギーの対立があり、存在自体に矛盾をはらんでいたゲームであった。それが良いことだったのか、悪いことだったのかは分からない。
復活の時を待つ
ともあれ本作の試みは非常に面白く、この奇妙なゲームを遊べたのは得難い経験だったと思っていたので、また万人にその機会が訪れるのは喜ばしいことだ。
最近ゲームを専門家視点で見るようなコンテンツが流行っているので、トモチルも社会学者にコメントとか貰ったら面白そう。
もしも興味が湧いたなら……再びリリースされた暁には、共に我らの国家に尽くそうではないか!
▼ゲーム情報(2016年版)
- プラットフォーム:PS4
- リリース日:2016/9/6
- 価格:基本無料
- 公式サイト:https://www.q-games.com/ja/the-tomorrow-children-ja/
- リニューアル版のリリース日等は12/3現在未発表
(1/7 追記)
この記事を書いた後、開発のQ-Gamesへのインタビューでいくつか情報が出てきているので補足を。
リニューアル版はサーバーを使わないピアツーピア方式になることや、基本無料ではなくなること、少なくともPS4に対応すること、2022年中のリリースを目指して開発中であることなどが述べられている。権利譲渡の経緯なども興味深い。