束子ダイナミック

ゲームを遊んだりゲームに遊ばれたりしている

『ロマンシング サ・ガ』がプレイヤーに与える「自由」とは何なのか。人はいかにしてゲームで物語をつくるか

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 せっかくコントローラを握るからには、自由なゲームが遊びたい。誰でもない自分だけの冒険ができるようなゲームがしたい。でも、一体どんなゲームが自由だと言えるのだろう? 目に見えるところにどこまでも行けたら自由だろうか。物語が膨大に分岐して、様々な結末が迎えられたら自由だろうか。

 『ロマンシング サ・ガ』(以下ロマサガ)は、1992年にスクウェアから発売されたRPG。GBで『魔界塔士サ・ガ』から3作続いたサガシリーズの流れを汲んだタイトルとして、SFCで発売された。

 フリーシナリオシステムが採用されており、決められた一つのストーリーに沿うのではなく、各地のイベントを自由に進めて、選んだ選択肢次第で様々な展開を楽しむことができる……というのが表面上の説明なのだが……。

 実際はこうだ。まともな地図もないまま世界に放り出され、どうにかこうにか行ける場所に行って、そこで唐突に降りかかった事件や理不尽な頼み事などのイベントを泣きながら攻略する。気に入らなければ突っぱねて無視することもできる。多くのイベントは高難度で、しかも頑張ってクリアしたからと言って相応の見返りがあるとは限らない。テキストも何だか乱暴で投げやりで、唖然とするほどあっさりしている(これは独特の味があり最大の魅力でもあるのだが)。それは自由に世界を冒険するという言葉から想像されるような甘いものではなく、大きな力に翻弄されて必死に抵抗しているような感覚だ。

 ロマサガには続編の2と3もあるが、初代はその中でも飛びぬけて「自由度が高いゲーム」だと言える。この場合の自由度というのは、クリアまでに辿る道筋が人によって大きく異なるということだ。普通に一周するだけでは見ることもないイベント、一度も会わないキャラクターが出てくる。でも、遊んでると自由という言葉からは程遠い気持ちになる。

 イベントでダンジョンらしき場所に入れば、通路を埋め尽くす敵シンボルの大群がこちらに向かって一直線に押し寄せるシンボルエンカウントだから敵を避けて進めるという考えが目の前で崩れ去る。拍子抜けするほど弱い敵もいれば、信じられないほどの強敵が出てくることもあるから、セーブして少し進んでは倒れ、次は強い敵が出ないことを祈る。気が付けばダンジョンの深いところで立ち尽くしていて、進むも戻るも敵だらけの地獄。ああ、辛い。通常戦闘BGMがカッコいいことを心の支えに歯を食いしばる。

 ロマサガのフリーシナリオを支える肝となるシステムが「戦闘回数による進行管理」だ。ゲーム開始からの戦闘回数が、新たなイベントが発生したり、あるいはイベントが消えるフラグになる。各イベントは独立したものでありながらも、ゲーム全体の序盤~中盤~終盤という大きな流れの中に存在するのだ。どんな風に進めようが、進行度が一定段階に達するとラスボスに挑めるようになり、ゲームクリアへの道が開ける。極端な話、イベントを一切やらないで戦闘だけ重ねていっても、この条件を満たすことができる。まぁゲーム中には確かこの説明ないんだけど。*1*2

 だから目の前の理不尽にもがき続けているうちに、いつの間にか物語は終盤へと差し掛かっていく。かつての英雄が邪神を封印するのに使ったという「デステニィストーン」のいくつかを手に入れて、今度はお前が英雄の役目を果たせと促される。主人公も、そうか、それが自分の運命だったのかと受け入れ始める*3。ゲームシステムと物語が作り出す、大きな流れとしての「運命」。だが、この後それはあっさりと否定される。それも、作中で最も高位の神によって。

「人はじぶんのうんめいを じぶんできめる けんりがある サルーインのなすがままほろびさるか それとも サルーインにたちむかうか じぶんたちでえらぶがいい」

「それは うんめいというものではないの?」

「神々とて それほどさきのことが みえているわけではない・・・・こんどのようにな」

Overture - Romancing Sa,Ga全台詞集より引用

 この会話は衝撃だった。自分がこのゲームでしてきたことの全てが、突然意味を持って立ち現れたような気がした。

 右も左も分からず、ロクに選択肢なんて無いように見えたかもしれない。そのイベントを選んだのは、ただの気まぐれや消去法だったかもしれない。嫌になって中途半端で投げ出したかもしれない。それでも、その全ては自分で選んできたことに違いはない。運命に導かれたように見えても、そこには常に選択の自由があったことに気付いた。

 それは正真正銘、自分が選んだ自分だけの冒険だと言えるのではないか? そしてその全ての選択やあがきは、人間が神に挑むための資格として肯定されたのだ。

 自由は必ずしも選択肢の多さを意味しない。限られた選択肢の中で、選んだ結果や選ぶ行為そのものに大きな意味を持たせられるのであれば、そこには大きな自由がある

 ロマサガはどこにでも行けて何でもできるという類のゲームではないし、難易度の高さや提示される情報の少なさで、目に映る選択肢はむしろ少なく見える。エンディングも一通りしかない。でも未だ、ロマサガを超える自由をゲームで感じたことはない。だから新たな自由が現れるまで、自分にとってこのゲームはちょっと特別であり続けるだろう。

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ねんがんのアイスソード。これと上の写真は、2018年と2020年にスクエニカフェで開催された「サガカフェ」で撮影したもの。

*1:このあたりの「難しさ」と「分からなさ」が、分析や解析、縛りプレイなどのやり込みが盛り上がる要因となったようで、複雑なフラグ条件や没データの多くがプレイヤーの手で解き明かされている。非常に興味深い。

*2:実はフリーシナリオは単調になりがちなシステムだ。ロマサガにおいてはこの進行度システムによってイベント発生時期が複雑に管理されていることと、ピーキーな戦闘バランス、センスがキレてるテキストで単調さを払拭することで魅力的なフリーシナリオRPGを実現している

*3:受け入れないこともできる