束子ダイナミック

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『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』は本当に”みんなが大好きな最高のゲーム”ですか?

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 『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド(以下、BOTW)』。「ゼルダのアタリマエを見直す」と銘打たれた本作は、2017年の発売と同時に絶大な支持を得た。先日もテレビ番組の投票企画で「最も好きなゲーム」のオールタイムベストに選ばれていたのが記憶に新しい。

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 なのだが、自分としては本作はゼルダの新作としても、単品のゲームとしても、かなり引っかかる点が多かった。引っかかるだけではなくて本気で先に進めなくなり、攻略なども見てみたものの、練習も稼ぎも苦痛になって35時間くらい遊んだところで挫折してしまった。

 「苦労の割に合わない高難度ゲームだというのが正直な感想だ。

 実際Amazonレビューや個人のブログなどを見ると、否定的な意見も決して珍しくはない。本作は巷で言われるような完全無欠なゲームなどではなく、むしろ欠点や人を選ぶ点も多いゲームなのではないだろうか。具体的にどの辺が問題なのかずっと考えていたのだが、この機会に整理してみたいと思う。

これを書いている人について

 本題に入る前に、私自身のプレイヤースキルやゼルダシリーズの経験を軽く開示しておきたい。

 3Dゼルダ、特に『時のオカリナ』『風のタクト』『スカイウォードソード』の三作が好き。2Dゼルダはあまり遊んでいなくて、しっかり遊んだのは『ふしぎの木の実』と『トライフォース三銃士』、初代と『神々のトライフォース』『夢をみる島』は少し触ったくらい。

 ゲームの本数は人並みかそれ以上に遊んでいる方だと思うが、あまり上手くはない。波動拳が三回に一回くらいしか出ない。

 一般に高難度ゲームと呼ばれるタイトルだと、『Celeste』は表クリアまで、『Dead Cells』はノーマルで全エリア踏破まで楽しく遊んだ。『Bloodborne』は最初の市街地が抜けられなくて無理だった。覚えゲーなら問題ないが、アドリブ力が要求されるのは苦手なのだと思う。

 とまぁそんな自分から見た、BOTWというゲームについて書いていこうと思う。

複雑な操作と強すぎる敵

 まず、アクションゲームとしての難易度がかなり高いと感じた。最初に言ってしまうと、この後に挙げる問題点のほとんどすべての要因がこれにある。

 操作はかなり複雑である。Switchの14ボタンをフルに使った上に、長押し・同時押し・二つのスティックとの組み合わせなども基本操作に入ってくる。しかも、その構成はあまり洗練されているとは言えない。うっかり手にした武器を暴投してしまったことは一度や二度ではない。

 そしてとにかく敵が強い。例えば『時のオカリナ』だと、ほとんどの敵の攻撃は体力のハートのうち1/2~1個を持っていき、それ以上はボス敵などが放つインパクトのある大技に限られていた。だが、本作ではその辺にいる敵でも平気な顔してハート3個とか一撃で持ってく。序盤ならほぼ即死だ。

 ちなみにイージーモードやカジュアルモードなどの低難度モードは非搭載。最近の大作は「多少体験を損なってもクリアできないよりはマシ」という理由で低難度モードが搭載されているものが多いが、そういった風潮とは対照的なスタンスだ。

難易度の高さはカバーできているか?

 かといってBOTWが完全に初心者お断りゲームという訳ではない。難易度の高さをカバーする手段は色々と用意されてはいる。

 まずは頻繁なオートセーブと直前からの即復活システムである。いわゆる「死にゲー」仕立てなので、死んでもあまり気にしないでね、ということだろう。

 だが、直前からやり直せたら次は突破できるのか、というとそれは結構難しい。テクニックに乏しい場合、本作の攻略に必要なのは事前準備だ。食事で一時的に強化するにしても、食材をどこかで用意して調理してこなければならない。それか強い武器をどこかで拾ってくるか(一体どこで?)

 交戦を避けてこっそりすり抜けるという手もあるが、多くの場合は敵の移動パターンが固定されていないので、使える場面は限られる。つまり行き詰ったら結局は引き返さざるを得ないことが多い。これでは直前で復活できるメリットも薄くなる。

 あとはハートやスタミナを恒久的に増やすこともできる。これには祠というミニダンジョンを探してクリアしなくてはならない。祠4つでハート1つ分。祠1つ見つけてクリアするのには、平均して30分~1時間くらいはかかるだろう。攻略難度を下げるほどに集めるには、これだけでも数十時間を要する。

 救済手段は用意されてはいるが、どれもやたらとコストが高い。「難易度を下げたくば相応の苦労をせよ」というのは一見もっともらしいが、別にゲームが下手なのを罰せられるいわれはないし、下手だからコツコツ稼ぐのが好きとも限らないではないか。

 「コツコツ稼いでから楽して進む」のはあくまでプレイスタイルの選択肢として用意するべきであり、救済要素としてはバランスを欠いてはいないだろうか。

自由を阻む、大自然の厳しさ

 本作の世界はオープンエアー(平たく言うとオープンワールドになっていて、「見える場所にはどこまでも行ける」自由さが売りである。最序盤を除けば進行も自由で、どの場所に行ってどのイベントから進めてもよい。

 ……ということになっているが、実際にはこの自由はかなりの厳しさを伴っている。

 なるほど自由なのか、と意気揚々と山地を突っ切ろうとするリンクの前に立ちはだかるのは、前述の通りの強力な敵に、寒冷地でのダメージ、崖を登るスタミナ不足、などなど。これらが重なって阻まれてしまうことがほとんどで、実際はそこまで自由にどこまでも行けないのである。

 結果として本作における探索は、無理のない地形で強敵のいない「無難に進める場所」を探す作業になってしまい、これなら最初からある程度ルートが決まっていたほうが余程スムーズでよかったとさえ思う。行けそうに見えて行けないのは、最初から行けないよりもかえって不自由さを際立たせてしまう。

 難易度の高さはせっかくの自由な冒険を阻む障害にもなってしまっている。

ファジーな謎解きと不十分なヒント

 本作のもう一つの特徴が、物理演算を採用していることだ。草は燃える、水は凍る、といった現実を模したルールが支配する世界である。

 ゼルダシリーズおなじみの謎解きも、この物理演算で起こる現象をベースに行われる。そのため解法は一つではなく、思いもよらない解き方ができたりもする。

 解法が複数あるのは結構だが、そのせいで解けても何だかスッキリしないのが本作の謎解きだ。謎解きというよりは、物理演算パズルと言ったほうが適切な気がする。ゼルダ過去作での謎解き(用意されたピースがカチッとはまるような)とは良くも悪くも全く別物かと思う。

 また、この現象のルールは、あまり明快には示されない。こんなものにも適用されるのかという物質がある一方で、どう見ても金属だけどマグネットでくっつかない壁、みたいなのもあり、ゲーム的なご都合を感じてしまう。また、それらは全て試してみなければ分からない。

 顕著なのが、大ボスの一体「水のカースガノン」戦である。ここでは敵の攻撃に対してあるアイテムを使用することが鍵となる。だが、そのアイテムがその物質に作用してこんな現象を起こせる、というのはここまでで一度も直接的に提示されないのである。これは正直、アンフェアに感じた。

 「この敵に対してアイテムをどう使うか」の解法を考えさせるのは、ゼルダのボス戦では定番中の定番で、それ自体は面白いものだ。だが本作は物理演算を採用していることと、進行が自由なことで試行錯誤のパターンも膨大。ダンジョンで手に入れたアイテムで敵のギミックをどう作動させるかを考えればよかった過去作とは訳が違う。

 にもかかわらず、ここでも敵の強さがネックになっていて、試行錯誤の間に何度もゲームオーバー画面を拝むことになる。解法の自由度を担保するポリシーのためか、ギミックを利用するのは必須ではないのも却ってタチが悪く、力押しで突破してしまったために、ただでさえ高い難易度がさらに高く感じられた人もいるのではないだろうか。

高難度ゲームとしてのカタルシスの乏しさ

 最初にもいくつか例を挙げたが、高難度ゲームというのは一つのジャンルである。プレイヤーがゲームに対して多大なリソース(無数のリトライや、高度なプレイのための練習や、長時間の思考検討など)をつぎ込んで高いハードルを越えることで、代えがたい喜びを得られるというトレードオフの大きさを魅力としている。

 この種の名作は、「苦労しただけのことはある」と思わせるのが上手い。プレイヤーを苦労させているのが分かっているから、そのぶん報酬のカタルシスはたっぷり弾んでくれるのだ。

 では、BOTWはどうだろうか。高難度に対して、報酬は十分に与えられているだろうか? そうは思えない。本作には決められた道筋が無いため、難所を越えたからといってそこに何かがあるとは限らない。ただ見当違いの方向に進んだだけかもしれないのだから。ストーリー的にも「過去に失った力を取り戻していく」という筋書きになっているため、勝てるはずのない難敵に勝ったというような驚きや爽快感を感じにくいのも多少あるとは思う。

 遊んでいて感じるのは、そもそも高難度で苦労を強いているという自覚が、このゲームにはあまり無いんじゃないだろうかということだ。

 余談な上にこれを書くとそこそこ反感を買いそうだが、近年の任天堂のゲームはプレイヤーの払うコストに対して無頓着で傲慢だと感じることが度々ある。例えば『あつまれ どうぶつの森』の必要素材数や家具の金額が必要以上に高く設定されていたり、冗長なメッセージを繰り返し見せられることなど。プレイヤーの熱意に甘えてはないだろうか。

 ちなみに一部の高難度ゲーマーには「自己満足」という強力な報酬機構が備わっているから、別にゲーム側が報酬をくれなくても十分賄える場合もある……が、それはもう無敵なのでここでは置いておく。

問題はあるが、問題にならない場合もある

 まとめると本作の問題は、「難易度の高さ」と「進行の自由度の高さ」「物理演算による自由度の高さ」が噛み合っていないことにあると思う。自由を謳歌しようとすれば高い難易度が邪魔をし、難敵に燃えれば自由度が退屈な肩透かしを仕掛けてくる。

 ここまで批判的に書いたが、とはいえ中身の詰まったゲームだとは思う。でなければ30時間超も遊んでない。魅力については散々語りつくされているだろうから、ここではあえて触れないが。

 難易度の高さにしたって多少腕が良ければ問題にならないだろうし、そうでなくても何百時間もかけてじっくりと遊んでいく根気さえあればカバーが可能だ。「腕に自信がある! 死にゲー大好き!」とか「コツコツやるの大好き!」という人なら楽しく遊べそうだというのも想像はつく。

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図にするとこんな感じだろうか

 人には合うゲーム/合わないゲームというのはあって、それは仕方のないことだ。Not for meというスマートな言葉もあるではないか。

 だが、従来のゼルダのファンとしてはそう達観してもいられない。

ゼルダのアタリマエ」はもう戻ってこないのだろうか?

 「アタリマエを見直した」BOTWが高い評価を得た。それはまぁいい。でも、従来の3Dゼルダにあって本作で失われてしまった魅力は? ガノンと一緒に封印しておくべきものか? そうではないだろう。

 どうしても情報量が多くなる3D空間での駆け引きをシンプルな操作に落とし込んで、誰にでも楽しめるようにしたアクション。ゲームに3Dが登場して間もない『時のオカリナ』で早くも確立され、その後の多くの3Dアクションの基礎となった。

 様々なロケーションに隠された個性豊かなダンジョン。順序良く並べられた謎は問題集のように粒ぞろいで、解けたら「自分ってちょっと賢いじゃん!」と思わせてくれる。お約束だからこそ、次の出題に期待を膨らませたり唸らされたりできる。

 そんな従来の「アタリマエな」ゼルダこそ、自分の好きなゼルダであった。その良さが顧みられなくなっていて、あまつさえ時代遅れと見なされているとしたら、それは悲しいことである。

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